40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

ゲンロン5

ゲンロン5 幽霊的身体

ゲンロン5 幽霊的身体

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「記号から触覚へ」(梅沢和木+大澤真幸+金森穣+佐々木敦+東浩紀

東:ぼくは芸術や哲学は、この世とあの世-死者や過去、もしくは来たるべき理想の世界-をつなぐインターフェイスであるべきだと思っています。これは、わたしたちがなぜ幽霊的なものとコンタクトすべきなのかという問いともつながっています。あの世とのインタラクションを失うと、芸術はすぐに芸能に堕ちてします。つまり、この世のロジックのなかだけで、いまこの瞬間の快楽を最大化するだけの技能に変わってしまうわけです。
大澤:能にしても、娯楽芸能であった猿楽に幽玄が持ち込まれ、まさにあの世とのつながりを得たことで芸術の域に達したわけです。西洋のバレエもまた、重心を天上へむけて引き上げる、超越への意志がそこに宿ることによって舞踏となった。インターフェイス性の有無が表現のレベルを分かつというのは、まさにそのとおりですね。

 

「他の平面論 第4回」(黒瀬陽平

吉田神道室町時代成立:1500年前後)では、仏法も儒教神道もすべては同一であり、仏をもって本地とするも神をもって本地とするも変わりはない、という究極の相対化に行き着いてしまう。
吉田神道は、中世の神道を仏教的磁場から解放し、独立した宗教へ作り変えるために大きな役割を果たした。そして、仏教が介在しなくなることで、神道の王権や国家との結びつきは、より直接的で強固なものとなる。それだけでなく、神と心が一体であるという考えは、特定の人物を死後、神格化することを可能にした。それまで日本では、怨霊が神になるか、始祖が神になるか、そのふたつしか人間が神になるパターンは存在しなかったが、吉田神道が死霊の祭神化を可能にし、それが豊臣秀吉徳川家康などの天下人の死霊を神とする人神信仰の流れをつくり、近代の靖国信仰へとつながってゆく。

 

 

感想

今号の特集は「幽霊的身体」。特に舞台芸術に焦点を当てる。能とか歌舞伎とか演劇とかバレエとかは、どれも1回は見に行ったことがあるけれど、美術以上の俄か。でも美術よりも多少の親近感があるね。人が演じる分、無機質な絵よりはこちらの心にダイレクトに響くものがある、ってことなのかな。

とはいっても、文章で直接説明してくれる媒体には敵わない。悲しい感受性の乏しさ。自分の枠を広げるための可能性は、美術よりは舞台芸術のほうにありそうだし、少しでも理解を深められる感性を磨きたい。虚構化され、美しい・楽しいって感情だけの「娯楽」で満足して終わらせるのではなく、そこから発展させて想像力・思考力を刺激させる「芸術」を嗜好する生き方。「成長を求めない」という指針により、社会に働かされる道から外れることができた。自由を得た。でも、それはもう達成したんだから、いつまでも縛りを継続するのではなく、人生を充実させるための方策を新たに検討すべきだな。成長は充実のための大きな要素なんだから、それを丸々放棄してしまうのは勿体ない。リタイアから1年以上が経ち、そろそろ精神の傷も癒えた頃合いだろうしね。

 

他の平面論。相変わらず面白い。吉田神道は、なんか異端みたいなイメージを持っていたけど、こうして歴史に沿って説明してもらうと、その意義がよく分かるね。神道関係は今後、もう少し詳しく追ってみてもいいかもな。

それはそれとして、これを書いた黒瀬さん、セクハラ事件を起こしてゲンロンと対立関係になっちゃったんだよな。訴訟にまで発展してるし。今後関わる可能性、ゼロだろう。残念なことだ。