40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

【番外編】2025年の振り返り 読書まとめ

2025年の読書を振り返る。

去年60冊読んだのに対して、今年は74冊読んだ。読書時間は去年305hに対し、今年は379h。大体1日1hペースで、のんびりと継続して読書を楽しむことが出来た。

ゲンロン関係とその派生で21冊、勢古さん紹介本が6冊。去年に比べればまだマシだけど、相変わらず情報の取り込み口が狭い。窓口を増やすという課題には引き続き取り組んでいきたい。

 

ゲンロン派生が多い影響で、ジャンルとしては思想書が一番多かった(15冊)けど、ついで多かったのはエッセイ(11冊)。一通り、取り入れるべきと自分で思っている本は網羅してきているので、これからは他者の視点から、新たな気付きを得ていきたいと思って。それなりの収穫はあったけど、まだまだ偏りはある。来年は、さらに幅を広げ、自分で思ってもみなかった思想・視点に触れてみたい。

センス・オブ・ワンダー

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
「知」は、「感じる」ことで裏打ちされた時にはじめて、本物の「知」となる。

 

彼らが生まれるまで、探し物といえば、僕は遠くばかりを探していた。不思議で、驚くべきものがあるとするなら、まだだれも知らない未踏の世界、新しい数学、少なくとも日常からかけ離れた場所にこそ、それはあるはずだと信じていた。
ところが子どもたちは、路傍の石にすら目を丸くする。まるで宝のようにドングリを拾って喜ぶ。僕が遠くに探し続けてきたものを、彼らは目の前に、足元に見つけ出していく。

 

子どもたちは「先送り」や「先延ばし」とは無縁だ。彼らはこの瞬間に、すべてをつかもうとしている。大事なことがあるなら、いまそれを見せてくれと、いつも全身で訴えかけてくる。

 

自分の蒔いた種が芽生えたときの喜びは、なにごとにも代えがたい。その喜びを味わうためには、「キッチンの窓辺のポット」に植えられた種でもいいのだ。種が芽生え、育っていくことの不思議―それは何度経験しても色褪せることがない。

 

 

感想

センス・オブ・ワンダー」とは、神秘さや不思議さに目を見はる感性。

僕も知識の収集を先走らせる傾向があり、「感じる」を疎か・後回しにしてしまっている面があるな。確かに、「知」は「感じる」をより深めるためにあるべき存在。その優先順位を間違えず、今後の人生をより豊かにしていきたいね。

 

センス・オブ・ワンダー」の本編も大事なことを言っていたけれど、それに続き、訳者による現代版「センス・オブ・ワンダー」風味のエッセイが載せられており、これがなかなか良かった。

 

子どもがいることで広がる世界。日常に溢れる不思議。ARIAを地で行くような体験は、ネオ・ヴェネツィアに行かないと得られないものではない。同じような感性を持った子供たちがいればいい。確かにそうなんだろうなあ。

 

僕は子供を持たない選択をしたわけで。それによって得られにくい、感じにくい経験・感情は確実にある。でも、その在りかが分かっているのならば。そこに意識を集中し、得られるだけのものを得ていきたい。

 

植物を育てることで、その何割か、何パーセントかの感情が得られるのなら。植物の世話が面倒だとかうだうだ言って先延ばしにすることなく。失敗してもいいやと、まずは試す・始めることから進めたい。今年はようやく、苔テラリウムによって観賞の喜びの一端を知った。来年はそれをもう少し広げていきたい。せっかくそれなりの庭もあるんだから、活用しないのは勿体ない。是非、挑戦しようと思う。