- 作者: ヴィクトール・E・フランクル,池田香代子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/11/06
- メディア: 単行本
- 購入: 48人 クリック: 398回
- この商品を含むブログ (373件) を見る
仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷり味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。
生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
感想
「夜と霧」は前々から読んでみたいと思ってピックアップしてあった本。ただ、重そうなのでちょっと敬遠していたわけだけど、最近軽いものしか読んでいない状況の中、ようやく読んでみようと思えて機会を得た。
強制収容所での生活ってのは、今まで色々な書籍等で触れてきたものでもあり、衝撃は受けても新しい収穫というものは特になかった。ただ、そうした極限下で人間性を保ちつつ、それを目指しつつ行動した人がいたってのはすごいことだよね。
全てを剥奪された中で、それでも生きる。その意味は?生きる価値は?そこから導き出された、生きる意味。人生に期待するのではなく、人生から期待されているという価値転換。それはそれで意義のあることだと思う。ただこれも、生きるために上手く適合する思考回路を形成しただけのように思えてしまう。僕としては、人の環境への順応の凄さを思い知らされるというか。生き易くするための人の脳の働き。適者生存。これこそが、人類の歴史、その基本にして絶対の法則かねえ。
今の僕は、そんな極限状態にはいない。だからこそ、ヌルいこと言って、効率主義だの、果てはアリリタだの言っている。それが、実現できる選択肢の中で最も幸せな道だと思っているから。
でも状況が変わって、ずっと働き続けなくてはならなくなったり、それ以上、強制収容所のような状況になったとしたら、その時はその時で、生きる意味を見つけ、生きていくんだろうなあ、と。その状況に最適なものを模索して。
結論として、人は自分が望むまま、自分が最適だと思う生き方をすべき、ということで。楽しみのために生きられる状況ならば、それを否定しなくてもいい。それを追い求めていかないとね。
まあ、苦悩から学ぶってのも事実だとは思うけれど。ある程度学び、それ以上を得なくても生きられると確信できたのならば、苦悩を避けていくのは合理的だよね。生涯苦悩に塗れる意味はない。どこまで安全性を見ておくか、ってのはあるにしても。どれだけ資産を蓄えるか、ってのと同じ。
出来得れば、極限状況に陥って、価値転換せざるを得ないような環境・状況には至りたくないものだね。