40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

古田織部の正体

宗二・利休・織部の三人ほど、桃山茶の湯の展開をそのままに象徴する人物はほかにはあるまい。具体的に言うと、山上宗二室町時代の唐物絶対主義の茶の湯の信奉者であり、利休は室町時代の美学に従って茶の湯界に創作の新天地を開拓した人であり、織部はまったくの創作の茶の湯の楽しみに耽った人であった。室町から桃山へと進む茶の湯界の革新と進展は、この三人に集約されている。

 

大量に生産される志野茶碗は、明らかにファッショナブルな茶人の動静を映している。時の人たちに推されて時の人となった織部は、こうした茶人の心をつかんだ。その結果、さらに見て楽しく、使って面白い茶道具を使って個性を強調する方向へと向かうことになる。

もし、仮に利休が提唱した道具がそのままに守られていたならば、地味に徹して茶の湯の原点を極めることはできても、おそらく大衆を魅了する活気は茶席には映らなかったことであろう。

 

 

感想

マンガ「へうげもの」が面白かったので、主人公の古田織部についてもっと深く知りたいと思って読んでみた本。本書は茶人としての古田織部に迫る本であり、武人としての生き方や、その死については省く。潔い。僕としても、茶人としての部分が一番知りたかったわけで、とても面白く読むことが出来た。まあ、死の真相の部分については興味があるんだけどね。それはまた別の本で補完しよう。

 

美濃焼の全盛期は、古田織部が活躍した時代に一致する。ずっと続くコンセプトとは異なり、一過性のファッションは命が短い。織部が徳川に断罪され、歴史から抹消されてしまったことも大きな理由なんだろう。でも、織部が活躍したからこそ茶の湯は民衆にも広まり、文化・伝統として根付いた。織部の功績は至る所に残っている。そして、一度は輝きを失った美濃焼が、今では焼き物の60%を占める隆盛を掴んだのは、万民に向けて大量生産し、開かれた茶の湯を開拓した織部の生き様を彷彿させ、とても興味深く面白い。

 

抹茶用茶碗は一つあれば十分で、何個も持とうとは思わないけど。織部は、食器類にその創意を向けた。食器であれば、用途・容量別に複数揃える必要があるからね。織部焼を実用的に収集することもできるってもんだ。なかなか現地には行けないけど、その機会が訪れる時を楽しみに待つことにしよう。

民芸とは何か

なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか。それは一つに作る折の心の状態の差異によると云わねばなりません。前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。華美よりも質素が、さらに慕わしい徳なのです。錯雑さよりも単純なものの方が、より誠実な姿なのです。華やかさよりも渋さの方が、さらに深い美となってきます。

ちょうど宗教の精髄が、複雑な神学に在るよりも無心な信仰に在るのと同じなのです。

 

今の人々はこぞって在銘のものを愛します。だがそれは「銘」を愛し、「人」を愛し、「極め」を愛しているのであって、美そのものを見つめているのではないのです。直観が彼等の判断の基礎ではないのです。

 

民芸品が特に注意されねばならない大事な理由の一つは民族性や国民性が一番率直にこの領域に現れてくるからです。民芸こそは国民生活の一番偽りなき反映なのです。もし民芸が衰頽するなら、やがて国家はその特質を喪失するに至るでしょう。

ごく当たり前なものが美しくならない限り、暮らしの向上はないのです。平易の中にこそ美が溢れねばなりません。ごく当たり前なものに美を盛ること、さらに当たり前なものでなくば示せない美を捕えることは、大きな仕事です。

 

 

感想

日本文化については深めていきたいと思っているし、ちょうどマンガ「へうげもの」を読んだり、著者の柳宗悦が「世界一の民陶」と絶賛した小鹿田焼の茶碗を買ったタイミングでもあり、とてもタイムリーな読書をすることができた。

へうげもの」の主人公・古田織部はマンガ内で茶碗をわざとぐにゃりと曲げた椀作りも進めており、そうした「作為」が否定されているのはちょっと笑ってしまったけど。

 

そうして提唱・推進することで、各地に細々と残っていた伝統工芸が生き残ったり、復活したりした功績は素晴らしいこと。今や民芸品も、一部は著者が批判した高級路線にいっているものもあるけど。焼き物なんかは数百円から買えるものもあるわけで、機械主義が極まり百均で器物が買えるような時代に、豊かな民芸文化が消滅せず生き残っているってのは凄い。生活の全てを民芸品で賄おうとまでは思っていないけど。少しでも多く生活が意味に、美に溢れるようにしていきたい。