ダメなものは、タメになる
- 作者: スティーブン・ジョンソン,乙部一郎,山形浩生,守岡桜
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2006/10/04
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 36回
- この商品を含むブログ (38件) を見る
ゲーム世界の目的と構造は豊かな芸術的体験をもたらしてくれるし、多くのネットワークゲームは魅力的な社会的交流をもらたしてくれる。だが、この体験における付随学習ははるかに大きな報酬をもたらす。難解なうえに刻々と変化する状況において調査し、テレスコーピングする能力だ。重要なのはプレイヤーの考える内容ではなく、その考え方なのだ。
いつもは元気で活発な子供が、静かに口をあんぐりとあけて画面を見つめているのを眼にすると、親は最悪の事態を想定してしまう。テレビがわが子をゾンビにしてるんじゃないか、というわけだ。だがそうした表情は精神的退行のしるしじゃない。それは集中していることを示すだけだ。幼児の脳はつねに、目新しい刺激を求めて世界を探し回っている。それは、新しいものや経験の探求と理解こそが学習の本質だからだ。家では、ほとんどの物体が昨日から動いていないし、新しい人間も登場していないから、テレビ画面の人形番組が子供の環境で最も驚くべきものとなり、検討と説明を要する刺激となる。だから子供はそこにロックインする。
感想
なかなか面白かった。一言で言えば、ゲーム、テレビ、映画といった大衆文化は、低俗・堕落一直線に向かっているわけではないし、人に良い影響も与えている、ってこと。指摘されている項目はどれも、「なるほど」と納得させられるものだった。
と言っても、僕はもともとこれらに批判的だったわけでもないし、考え方を改めたわけじゃないんだけどね。最終的な結論も、大衆文化完全擁護ではなく、「何事もほどほどに」っていう王道だったし。やっぱりバランスは最強だな!でも、その後に続く「だからといってたまに没頭するのを無理にやめる必要もない。多少は没頭しないと、本当にそれを体験することはできない。」ってのもその通りだと思う。まあこれも、「ほどほどと没頭のバランスをとる」っていうふうにバランス論に取り込めるけどさ。
この本は、もうちょっと早く読んだ方が良かったな。ちょっと旬が過ぎてしまったかな、という感じ。「ゲーム脳」なんかのトンデモ話は既にこき下ろされているし、極端な論調は治まっているように思ったんで。まあ、これは僕の感覚であって、小さな子供を持つ親からしたらいまだにゲーム・テレビ悪玉論は蔓延っているのかもしれないけどさ。
テレビについて。僕はあまりテレビ番組を見ない。得るところの少ない、時間潰しにしかならない番組が多いからな。(アメリカの状況は多少異なるみたいだけど。)こういう状況が、これからのネット社会によってどう変わっていくのか、とても楽しみだ。見応えのある番組が多数作られるようになるといいな。
ゲームは好きだし、今後どんどん魅力的になっていくのなら歓迎すべきことだ。とはいえ、既に置いてけぼりを食らってるんだけど。PS3もWiiもXboxも持ってないし、モバゲーもやったことないし。最近、PSPやWiiの後継機も発表されていたな。新しい体験はどんどん求めていきたいところなんだけどなあ。