- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/12/01
- メディア: 単行本
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聖職者にとっては、不信仰の徒と交渉することからして、キリスト教徒としては誤った行為になるのである。ましてや聖都イェルサレムの「解放」は、異教徒との話し合いによるのではなく、キリスト教徒が血を流すことによって成し遂げられるべきことなのであった。
感想
十字軍物語の最終巻。1291年にキリスト教側の領地がすべて失われるまでと、その後の顛末について。リチャード獅子心王や皇帝フリードリッヒといった、十字軍遠征で活躍した人たちの話は面白かった。まあ全体としてみれば、最後には失敗に終わったわけだけど。それにしても、聖職者の戦略性の無さと頑迷さには呆れるよな。
まず、第三次十字軍について。あのままリチャード獅子心王が十字軍遠征を続けていられれば、エルサレムの解放は達成できたかもしれないのに。彼がエルサレムの攻略を諦め、イスラム側と講和を結んで帰らざるを得なくなったのは、フランス王の軍がリチャードの末弟と組んでリチャードの領地に侵攻したため。ローマ法王が、「そんなことをしたら破門に処すぞ」と宣告すれば、その動きを止められたんじゃないの?第三次はローマ法王の提唱によって始まったものではなかったとはいえ、エルサレムの解放はローマカトリックの悲願だったんだし。せっかく立ってくれたリチャードに対して、それくらいの援護はしてもいいのに。なんで動かなかったんだろう。まあ、当時の状況は分かっていないでこんなことを言っているんで、もしかしたら仕方のないことだったのかもしれないけど。
そして第五次と第六次の、イスラム側からの「エルサレムの割譲」提案について。第五次はその提案を突っぱねて結局失敗するし。第六次は皇帝フリードリッヒがそれを受けて解放を達成したけど、その成果を全く評価しなかったし。本当に大切なことは何か、ってのが全く見えてない。エルサレムの奪還よりも、そのために流す血の方が尊いなんて。結果よりも過程や動機が大事ってこと?まあ、彼らからすればそれで正解なんだろうけどね。部外者からすれば相容れない考え方だ。
そしてだからこそ、現代においても異教徒同士は理解し合えないわけだ。宗教者の頑固頑迷は、今に始まったことではない。ならばやっぱり、今後も解決の見通しは無いってことなのかな。フリードリッヒやアル・カミールのような、現実的な見方が出来る人のほうが稀。一時的な解決はあったとしても、長続きはしないんだろうな。行きつく先は核による相互抑止力なんだろうけど、それが破られる日を考えると恐ろしい。さて、どうなることやら。