- 作者: 小出裕章
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2011/06/01
- メディア: 新書
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私たちが病院でレントゲンを撮ったときに受けるエックス線は、約100キロeVです。実は病院でレントゲンを受けるたびに、そのぐらいのエネルギーにからだを貫かれ、DNAが破壊されているわけです。
報道でお馴染みのセシウム137のエネルギーは約661キロeV、プルトニウム239に至ってはなんと5.1メガeVです。「被爆」とは、私たちの体を作っている分子結合の何万倍、何十万倍ものエネルギーの塊が体内に飛び込んできて、遺伝情報を傷つけることです。
感想
あの震災から1年が経過しているし、今さら読んでも仕方ないかな、って思う部分もあった。著者が考えるような最悪の状態までは至らなかったようだし。冷温停止宣言も出されたし。もちろん、そんなので完全に収束したと安心しているわけではないけどね。
ただ最近、関西電力大飯原発の稼動再開問題がニュースになっていたし。今後日本が再び原発を推進していくかどうか、興味深いところだ。そんな中で、改めて原発反対側からの意見を知ることができたのは良かった。
著者の小出さんは、震災による原発問題が発生する前から、反対を主張してきた人。俄か反対論者じゃないってことでの安心感はあるけれど、だからといって、その言説の全てが信用に値する、ってことにはならない。主張をみるに、ちょっと大袈裟かな、と感じる部分もあった。低線量の被爆について、「人体に影響のない程度」とかいう政府の主張を鵜呑みにするわけではないけれど、「害がある」という意見に与するつもりもない。原発のコストについてもなあ。まあ、今回みたいな事故の補償問題までを含めての話だったら割に合わないんだろうけど、東電の有価証券報告書だけを見ての主張はどうかと思った。
日本が原発後進国だって主張は、確かにそうなんだろうなあ。今回問題が拡大したのは、技術を完全に自分のものと出来ていなかった、ってことも大いに関係してるのでは。そんな状態で海外展開を目指している日本に、「日本からの新幹線技術を流用して海外展開を図る中国」と似たようなものを感じてしまった。
僕は、原発を制御すること自体は可能だと思ってるんだよね。100%とは言わないけれど、それを限りなく0に近づけていくこと自体は。問題は、日本にそれをする能力・意志があるのか、ってこと。それを考えた時、
4月下旬、衝撃的な事実が発覚しました。福島の事故を受けて「もんじゅ」を含む全国の原発に非常用の電源車や発電機が配備されましたが、マスコミの取材でこれらの対策が全く役に立たないことが分かったのです。あれだけの事故を目の当たりにしてもいまだに対策ができていないのですから、お粗末すぎて言葉になりません。
っていうのは、致命的なんじゃないかと。
ゴー宣で小林さんはアメリカについて、「さすがにアメリカは常に戦争する国だ。非常事態の仮定が出てきたら、対策はすぐさまとる!徹底的な合理主義、徹底的な技術主義で、原発や核兵器を管理しようとしている。そこは空想的平和主義で危機意識の薄い日本とは違う。」と指摘する。
こういう部分での戦略的思考は、日本人には欠けているんじゃないかなあ。過去の戦争の例をみても。もちろん、個々にはそういう能力に長けた人もいただろう。でも全体として、それを尊重・重視する土壌がない。それは国民性といってもいいようなもの。
一度発生した被害から立ち直る能力は高いんだと思う。でも、事前に備えることが出来ない。自然災害なんかは、何度も何度も損害を受けることで徐々に対策を高度化させていったんだろう。幕末や大戦後の改革・復興にしても、事態に直面してから、ようやく活動を本格化させる。そうするための時間的余裕があり、取り返しが付くんならばそれでいいんだけどさ。原発や核にそれは通用しないんだよ。経験からの学習では遅い。事態の当事者になってからようやく目覚めるのでは遅い。経験、即破滅の可能性もある技術なんだから。
そんな国民に、核や原発を持つ資格は無いんじゃないだろうか。どんな人にも、どんな国にも、得手不得手がある。苦手な部分で無理して自爆しなくても、得意な方法でカバーすればいいじゃないか、なんて。
まあ、絶対に反対ってわけでもなし、それでも続けるってんならそれでもいいんだけど。その場合は、それ相応の覚悟を決めてからにしてほしい。「喉元過ぎれば」なんて絶対に許されない。