40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

「八紘一宇」「大東亜共栄圏」といえば日本が戦争をする言い訳用のスローガンだと昔はわしも思っていた。そんな言葉持ち出すやつは右翼だとわしも思っていた。八紘一宇というのは「天皇の下ですべての民族は平等」ということだが、この政治的主張は単なるフィクションではなかった!じつはかなり本気の主張であることが証明されてきているのだ。
第二次大戦で日本はドイツと同盟国だった。ドイツは「日本もユダヤ人を排斥しろ」と再三圧力をかけてきたが日本政府は「全面的にユダヤ人を排斥するは八紘一宇の国是にそぐわない」とはねつけたのである。民族差別をしないという八紘一宇の主張を日本は貫いていた!ドイツから逃げるユダヤ人難民は日本の通過ビザを取得し、敦賀に上陸し、神戸から上海に向かった人が多かったらしい。6000人のユダヤ人にビザを与えて逃亡を助けた日本人外交官、杉原千畝は有名だが、もともと彼の行動は日本の「八紘一宇」の政治的主張のもとにやっていたわけだ。
東アジアでも日本はアジア人と戦ったのではない。アジアを植民地化していた差別主義者・欧米人と戦ったのだ。「八紘一宇」の政治的主張のもとに、日本は敵国の人種差別とも同盟国の人種差別とも戦っていた!


オウムの信者並みにGHQにマインドコントロールされた日本人は50年たった今もよりキツイ「洗脳されっ子」となって、当時東京裁判でもまったく問題にならなかった戦場慰安婦のことまでも「従軍慰安婦」と名づけ自ら・・・「ここにも犯罪があったじゃないか」・・・と世界に叫び始めたのである。
こう言われて喜ばない国はない。もう済んだことかと思ってたらまだ金くれるらしいんだから。特に「反日」がナショナリズムの核である中国・韓国がこの日本の態度を喜ばぬはずがない。しかし中国・韓国が悪いわけでもない。他国の弱点はすかさず突いて自分たちの国益に有利にもっていくのは、厳しい国際関係の中で当然のかけひきなのだから。
バカなのはこの日本国内の「洗脳されっ子」にすぎない。朝日・毎日新聞をはじめとするマスコミやサヨク運動家だけでなく市民運動家と称する者。そしてアメリカ様に与えられた反戦平和のイデオロギーの中でぬくぬくと育った一般の人々も・・・。


わしの叔母は統一教会に洗脳されてしまって、その家族は崩壊してしまった。
「だまされている」こちらからはそう見えるのだが、彼女は「信じている」のだ。わしは奪回作戦の失敗を通じて色々考えた。わしが二度と奪回する気がなくなったのは、彼女にとってあのカルトに代わる「価値観」が今の世の中にないとわかったからだ。代わりのものを与えてやれない。何よりも肝心の家族の方にそれを与えてやる意欲がない。わしは関わるのをやめた。叔母は「だまされている」が「信じている」。それでいい。
その統一教会の元信者らが訴えていた「青春を返せ訴訟」は名古屋地裁が元信者らの請求を棄却したそうだ。信仰を捨てたとたん「青春を返せ」と言ったって棄却されて当たり前じゃないか。元信者たちは結局「信じたんじゃない、だまされたんだ」と言ってるわけだ。悪かったのは文鮮明教祖であり統一教会という組織でありその幹部たちだと。
だまされることを決断した自分はいないのか?信じることを決断した自分はいないのか?「だまされる」ことと「信じる」ことは両面張り合わせのひとつの心理だ!この元信者たちは実は相当恥ずかしいことを主張している。つまりこう言っているのだ。「自分はなかったのです。カラッポだったのです。決定する主体たる自分はなかった。だまされただけ!」
わしは統一教会オウム真理教に深く関わってしまったために「だまされていただけ」と言って自分の責任を棚上げにするやつが大嫌いになってしまった。
しかしふと見ると、敗戦後の日本人も大して違わない言い方をしているではないか!「軍部が悪かったから」と!


感想
かなり面白い本、というか漫画だった。戦争に関しては、「絶対反対」という立場からの主張が大きすぎてそれ以外の声が聞こえてこない。こうして肯定側からの意見を聞いてみるのも新たな発見があって興味深かった。全てを悪として断罪してしまっては、過去をただただ封印するだけになってしまう。教訓を得るだけでなく、あの戦争の中には崇高な思いや行動だってあったはずだ。それを汲み取り糧としていくことも、同時に大切なことだと思う。それが本当の意味で、過去に学び将来に活かすってことだろう。人と違う意見を持つと叩かれやすい世の中だけど、それに流されることなく、自分の中の基準をしっかり持って過去・現在・未来を見つめていきたい。

それと、「嫌韓流」を読んだ時にも思ったけど、韓国が悪い・中国が悪いと相手のせいにしてばかりいたって仕方がないよなあ。「他国の弱点はすかさず突いて自分たちの国益に有利にもっていくのは、厳しい国際関係の中で当然のかけひき」って書かれていたように、韓国・中国の首脳部だって、事実として分かっている部分はあるんだろう。ただ、利用できるのなら利用していこうってスタンスなだけで。この著者の意見には完全に同意できるなあ。相手を攻撃するんじゃなくて、ならばそれを防ぐために自分たちはどうしていけばいいのか、何が出来るのかってことを考えていかなくちゃいけないよな。

統一教会についての話も考えさせられる。「カルトに代わる価値観が今の世の中にない。代わりのものを与えてやれない。」ってのはその通りだよなあ。それを信じることがその人の幸せになっているのならば、それを否定したって仕方ないんだろう。人生を楽しく過ごすにあたって、真実を知ることは必ずしも必要なことではない。真実を知れば幸せになれるわけじゃないし、そんなの知らなくたって幸せにはなれる。まあ、僕は「真実を知りたい」ってことも欲求の一つとして持っているため、そういう道は選べないわけだけど。