無思想の発見
- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/12/06
- メディア: 新書
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どんな思想も万能ではない。そのなかで「俺は思想なんて持ってない」という思想は、欠点が見えにくい思想である。そもそもそれを「思想だなどと夢にも思っていない」んだから、訂正する必要もないし、それについての他人の批判を聞き入れる必要もない。じつになんとも手間が省ける思想なのである。
歴史的に日本の急速な、いわゆる近代化が可能だったについては、この省エネ思想が与って力があった。「思想なんかない」。そう思っていれば、臨機応変、必要なときに必要な手が打てる。たとえ昨日まで鬼畜米英、一億玉砕であっても、今日からは民主主義、反米なんか非国民、マッカーサー万歳で行ける。
若者によくある誤解がある。知らない世界を見ることが、未知との遭遇だと思っているのである。だから「自分探し」にイラクまで行ってしまう。未知がイラクにあるのではない。「自分が同じ」だから、世界が同じに見えるのである。それで「退屈だ」なんて贅沢をいう。知らない環境に入れば、自分が変わらざるをえない。だから未知の世界は「面白い」のである。
「未知との遭遇」とは、本質的には新しい自分との遭遇であって、未知の環境との遭遇ではない。そこを誤解するから、若者はえてして自分を変えず、周囲を変えようとする。
感想
父の本棚から持ってきた本。父は養老さんの本が好きみたいで、他にも色々とあった。
この本もなかなか面白かった。日本人が、「無思想」という思想を持っているってのは、納得できる話だ。個別の思想ではなく、世間で共通の思想を持っている、ってことなのかな。それに属している人間には、その思想への同調・協調が求められる。自分自身で作り上げたものではないから、思想を持っていることに気付かない。
そのおかげでスムーズに物事が運んできた面もあるわけだし、悪いことばかりでもない。僕も、与えられた思想だからといって故意に反発するつもりはない。ただ、そういう流れがあることを意識して乗っていきたい。必要があればいつでも抜けられるように。
「自分探し」についての話はちょっと耳に痛いなあ。僕も旅が好きで、色々なところに行ってみたいと思っている。今まで出会えなかった経験や感情を味わえるんじゃないかと。でも、中身の自分が同じでは、結局どこに行っても大して変わらない結果しか得られないものかもな。まあ、境遇を変えると修正が効きにくいから、お手軽に変化を味わうために旅をする、って面もあるのかも。
とはいえ、そろそろ境遇も変え時かな、と思ってるんだけど。