40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

幸せはいつもちょっと先にある−期待と妄想の心理学−

幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学

幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学

「盲点には視覚受容器がなく、ここに結ばれた像はけっして見ることができない。ところが、視野の中には黒い穴があいている様子はない。なぜか?脳が盲点のまわりの情報をもとに、盲点が盲点でなければ見るだろう妥当な映像を推測して、視野の穴埋めをしているからだ。脳は生みだし、作りだし、でっちあげている。あなたに相談することも、許可を求めることもしない。脳は、欠けている情報の性質をできるかぎり妥当に推測して、視野の穴を勝手に埋めている。


脳は刺激を好きなように解釈する自由を与えられると、自分が望むかたちで解釈する傾向がある。あなたの好みは、文脈や頻度や親近性と同じように刺激の解釈に影響をおよぼす。人はなぜ自分を才能のある人間だと考えているのだろう?自分で才能の定義を決められる評価群は、決められない評価群よりも自己の才能を高く評価した。才能の意味を好きなように定義出来る自由があった評価群は、まさに自分が望むように、つまり、たまたま自分が秀でている活動の観点から定義した。ほとんどの人が自分を、才能があり親切でかしこく公正な人間だと考える理由の一つは、こうした単語に明確な評価軸がないからだ。人間の心は無意識のうちに、自己満足のためそれぞれの単語のあいまいさを利用している。


目と脳は共謀者であり、他の共謀と同じように、目と脳の共謀もわれわれが自覚しないうちに秘密裏に交渉がおこなわれている。われわれは、現在の経験について明るい見方をみずから作りだしているとは思っていないため、未来にも同じことをするだろうとは思いいたらない。このだまされやすさのために、われわれは未来の災難を前にしたとき、感じる苦痛の激しさや長さを過大に見積もるだけでなく、目と脳の共謀を危うくする行動を取ることがある。われわれが明るい見方をしやすいのは、行動しなかったことより行動したことについて、腹立たしい程度の経験より苦痛を感じる経験について、逃げ出せる不快な状況より逃げ出せない状況についてだ。ところが、選ぶ場合にはめったに、不行為より行為を、腹立ちより痛みを、自由より覚悟を選択しない。」


感想
とっつきにくい本なんだけど、読んでいくうちに嵌っていった。トランプマジックについてなんかは面白い。機会があれば試してみたいけど、どうかな。うまくいけばびっくりしてもらえるだろう。
盲点についても面白い。脳は、欠陥というわけではなく、その仕組みからして人を騙す部分があるんだ。そのことを知っていないと、自分に正直に生きているつもりでも、実は正しくない、という事態が起こり得る。記憶にしても、経験のとらえ方にしてもそう。自信があることであっても、ひょっとしたら違っているかもしれないという客観的な見方を残しておいて、謙虚に柔軟に物事をとらえていきたい。
僕は、世の中には絶対はないと思っている。宗教で「真理を見つけた」と言う人もいるが、僕に言わせれば、「絶対はない」ってことこそが真理だ。その人の見方には妥当性があるんだろう。でも、別の見方をしている人にも妥当性はあり、両者は矛盾していないのだ。そういうことが起こり得るってことをちゃんと認め、その上で、色んな考え方の人たちを受け入れていきたい。