40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

カラマーゾフの兄弟 5巻

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟には二つの層がある、一つは低次の層であり、物語の筋立てや心理的なメロドラマがそれにあたる、もう一つは高次の層である、ここでは神と悪魔が争い、神の実在をめぐる悲劇的な層をなしている。
低次の層とは、プロット、ないし物語レベルでの心理的な葛藤の層であり、高次の層とは、ひとことで言って神と悪魔、善と悪、といった象徴レベルでの葛藤の物語である。しかも、低次の層である「物語層」は、基本的には、高次の「象徴層」の支配下にあり、「象徴層」での力関係の支配を受けて、プロットが進行していると判断できる。
カラマーゾフの兄弟には、この二つの層のほかに、もう一つの層、すなわち、一般の読者には見えにくい、一読しただけでは理解できない、そのため読解をより困難なものにしている、もう一つ別の層が存在している。それはすなわち象徴層と物語層のあいだに、通気性の悪い壁のように立ちはだかる「自伝層」である。


この小説には、今まさに終わろうとする物語と、始まろうとする物語の、それぞれのベクトルをもった二つの物語が混在しているということである。
終わる物語―①父殺し(フョードル殺人)、②ドミートリーの物語
始まる物語―③少年たちの物語(コーリャ等)、④第二の父殺し(皇帝暗殺?)


カラマーゾフ家の兄弟は、しばしば真(イワン)、善(アレクセイ)、美(ドミートリー)の体現者であるといった言い方がなされるが、象徴層(二元論)の主人公はアリョーシャであり、物語層(多声性)の主人公はドミートリー、中間部、すなわち自伝層(独白)の主人公はイワンということができる。


感想
エピローグは何ということもなくさらっと終わった。そしてまたコーリャ達が出てくる。何の意味があるんだろう?と不思議に思いながら訳者の解題を読んでいったところで、ようやくその理由が分かった。これはドストエフスキーが13年後の世界を描いた続編を意識して挿入した部分だったということだ。多分彼らが続編での中心人物になるんだろう。ドストエフスキーはそれを書く前に死んでしまったので、未消化のまま残ってしまったってわけだ。そういうことだったのか。そういえば、一巻の「はじめに」の部分でそんなことが書いてあったような。すっかり忘れていた。
訳者が物語の骨格(「カラマーゾフの兄弟」が三層構造の物語になっていることや、終わる物語と始まる物語があること等)を説明してくれたおかげで、この本についてようやく整理がついた。そう言われてみれば、確かにそれらをうまく絡ませた壮大な物語だったような。ここら辺が、この本が大絶賛されている所以なんだろう。これらの構造を理解しながら読み直してみればまたさらに違う感慨が湧いてくるのかもしれないが、まあ当分その時は訪れないだろうな。とりあえず、大作を読みきったという満足感はある。
それにしても、言われなきゃ気付かない僕の読み方は、まだまだだなあ。普段ビジネス書のように理路整然とした文章ばっかり読んでるからなあ。分野の偏りなく色んなジャンルに挑戦していかないとな。