40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

『きけわだつみのこえ』の戦後史

『きけわだつみのこえ』の戦後史 (文春文庫)

『きけわだつみのこえ』の戦後史 (文春文庫)

「きけわだつみのこえ」は毎年、万余に及ぶ読者を獲得していくことになったが、私の見る限り、読者の受け止め方には、大別して二つのタイプがあり、この二つを軸としてさらに幾つかに分かれているように思える。二つのタイプとは、追悼、供養の意味で読む読み方と、政治的に読む読み方である。過去の戦没学徒の無念を共有し、それを教訓とするのが前者なら、現在から将来への社会変革のために戦没学徒の心情を政治化していくのが後者である。


感想
なるほどね。「わだつみ会」における意見の相違やゴタゴタ、その歴史について良く分かった。この本も読むように勧められていた理由が分かる。まあでも、両者の気持ちも分かるなあ。そうなってしまう理由が分かるというか。結局、「人の見方は一様じゃない」ってことなんじゃないかな。人同士だけでなく、一人の人の内面においてすら多様な思いが存在する。戦没者の思いを勝手に読み込むなと言っても、その戦没者の思いすら一様ではないのだから、どっちが正しいなんて言えないだろう。戦争を恐れる気持ちだけじゃなく、日本のため天皇のためと勇ましく向かっていく気持ちだってあっただろう。被害者でありながら、他国を攻撃した加害者でもある。確かに、軍に強制される中で仕方なくやらざるを得なかったことだってあるだろうし、そういう環境に順応するために意識的無意識的に思考が変わった面だってあるだろう。だからといって、そういう状況を斟酌して勝手に彼らの行動・思考の一部分を抹殺し、一部分だけを強調するやり方は、公平なやり方ではないと思う。
でも一方で、そうやってどちらか一方に偏ってしまうことも、人間の性向だろう。否定しても仕方ない。物事を見てそれにどう反応するかは、その人のそれまでの環境や教育によって千差万別だ。また、そうやって違いがあるからこそ、交じり合い反発し合う中で新しいものが生まれる余地も生じる。だから、どちらかに偏るのは公平でないとしても、許容されるべきだと思う。
だから大事なのは、人によって意見はそれぞれ異なるということを認めることじゃないかな。自分の意見だけが正しいと決め付けず、他人の意見にも一理ある、真実があるかもしれないということを受け入れる。検討の結果相手の意見が自分にとって受け入れられないものだったとしても、相手にとってはそれが真実なのだから、それを信じているその人の見方を尊重する。もちろんそれが難しいことは分かっているけど。だからこそ国家間での争いがあり、宗教間での争いがあるわけだから。お互いがお互いのことを認めないかぎり決着しないしな。


という前置きをしつつ、僕にとっての「きけわだつみのこえ」の感想としては。やりたいことをやれなかった人たちの無念を糧として、日々を楽しく、有意義に過ごしていきたい。今の日本は、過去にないほど自由にやりたいことをやれる世の中だ。その幸運をかみ締め、機会を最大限に活用して日々成長していきたい。
戦争と平和についての思いとしては。確かに戦争は良くない。できるなら起こらないに越したことはないし、そのために最大限の努力をすべきだろう。でもだからといって、備えをしなくてもいいというわけではない。今、沖縄の米軍基地のことが問題になっているけれど、確かに基地なんてないほうがいいだろう。でもだからといって、それらを無くしてしまって済む問題ではない。日本国の自衛はどうやって確保する?自衛隊を拡張するのか?どちらもなくせると思っているとしたら、そんな甘い考えはない。これについても、一方の側からのみ見るのではなく、高い見地から、起こり得る様々な状況を勘案した上で適切な判断を下すようにしなければいけないと思う。自分の思いだけで行動してはいけない。世界には、自分以外にも他人がいるのだ。だから、他人の思いや行動も考慮に入れ、それを基に自分の思いを形成し、行動しなければならない。