40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

日本の難点

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

昨今の社会では、多くの男女は自分がいま持っている属性が安定的でないことを自覚しています。一流会社もいつ没落するか分からない。金もいつ失うか分からない。容姿の美しさや若くてピチピチといった付加価値もじきに失われる。当然ながら属性依存的な関係は、脆弱になります。

あれこれあって今がある、といった関係の履歴がかたちづくる入れ替え不能性(関係の唯一性)だけが、脆弱性の不安から人々を自由にします。「愛のセックス」における愛にもいろんな位相がありますが、情熱から安らぎに至った末の「関係の唯一性」こそが、孤独な死から人を救うでしょう。

人のなす区別は、神のなす区別と違い、必ず間違います。にもかかわらず人は、区別なくして生きられません。それが原罪です。人は、必ず間違いを伴う区別なくして、生きられない。ここで重要なポイントは、人のなす区別(知恵)は、可謬的―間違えることがある―ではなく、必謬的―必ず間違う―というところです。

一つは「境界設定の恣意性」です。どうとでも区別できるのにそう区別していることが恣意性です。排除の恣意性とも呼べます。「我々の平等」を掲げる場合「我々」の範囲はいつも恣意的です。「人間全体」をとってさえ「何を以て人間とするか」という範囲は恣意的です。

人のなす区別が必謬的であるもう一つの理由は、「因果理解の恣意性」です。無限に続き拡がる因果の中から、人は恣意的に一部を切り取り「あれは良かった」「これは悪かった」と思いがちです。でも「世の摂理は人知を超える」。人知を超えた時間の中で、善は悪を生み、悪は善を産むのです。

最近「環境問題のウソ」を暴く本や言説がブームです。僕は爆笑します。「温暖化の主原因が二酸化炭素であるかどうか」はさして重要ではないからです。なぜなら、環境問題は政治問題だからです。そうである以上、「環境問題のウソ」を暴く本が今頃出てくるのでは、15年遅すぎるのです。

政治的なゲームでは、「何が真実か」ということより「何が真実だという話になったか」がはるかに重要です。そこに有効な影響を与えられなかった以上、今頃何を言っても「負け犬の遠吠え」です。ゲームは既に終わったのです。とすれば、後出しじゃんけんでゴネるより、始まってしまった新しいゲームに掉さし、先行者の利得を得る方が賢明です。


感想
中身がぎゅっと詰まった、かなり興味深い内容の本だった。著者があとがきで、「本書はこれ以上はあり得ないというほど、噛み砕いて書かれています。本書に難解なところがあるとすれば、それは記述の難解さではなく、事柄の難解さによるものです。」というふうに弁解しているが、本当か?もっと易しい書き方があると思うんだけど。確かに話題によっては僕の知識不足が原因で、難解すぎて理解できない部分もあったけど。まあ、自分のレベルに合った部分までしか理解できないってのは何にでも当てはまることだから、あまり気にしていない。自分の今後に期待ってことで。そういうところがあったとしても、それ以外で勉強になる部分がたくさんあり、収穫が得られたので満足だ。「社会が包摂性を失っている」とか「重武装・対米中立へシフトするべき」「教科書検定問題」とか。
この人はネット上で、「マル激トーク・オン・ディマンド」という番組を有料配信している。月525円。そんなに高くないし、本当に価値ある媒体ならば加入してもいいかな。ちょっと検討してみよう。