40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

家族を「する」家−「幸せそうに見える家」と「幸せな家」−

家族を「する」家―「幸せそうに見える家」と「幸せな家」

家族を「する」家―「幸せそうに見える家」と「幸せな家」

「かつて家族は放っておいても自然に「家族になる」ものだった。けれど、いまでは家族は「家族をする」のだというはっきりとした意志や同意が必要な時代となった。「家族は自然となる」ものではなく、「家族をする」時代になったんですよ」
いまほど「家族をやめる」のが簡単な時代はこれまでになかったと思う。それはやはり、家族が「なるもの」ではなくなったからだろう。

現代は家族にとってはとても「難しい時代」となったが、その半面、個人にとってはとても「楽な時代」となった。個人が個人として自己充足するのは簡単で、自分一人を満足させる方法はいくらでも思いつく。そんなことはすぐに考えついても、「自分も満足して、さらには家族みんなも満足できることは?」と考えるとなかなか答えが見つからない。あるいは「家族だからこそ楽しめることは何?」と問われたらどうだろう。ただちに答えられる人はそうは多くないはずだ。
現代は「個人の時代」であって「家族の時代」ではなくなりつつある。そんなときに「家族をする」というのは大変な努力を必要とする。あるいは、覚悟と創意工夫を必要とする。

以前は家族単位の消費が多かったが、いまでは消費の個人化が進んでいる。そして現代人は快楽、感動の大半を消費を通して得ている。⇒快楽・感動の個人化
情報も以前は家族単位だった。入ってくる情報は一本化されていた。情報の共有ができていた。でも、いまは情報が個別化して、個人化している。父親と母親と子供とで情報ソースはまるっきり違う。親子間で、夫婦間で噛み合うわけがないのだ。

「男と女が結婚して、生活していれば自然に「家族になれる」と思っているカップルは将来まず間違いなく破綻する。「夫をする」「妻をする」「父親をする」「母親をする」という自覚と覚悟がないと、これからの家族は「家族をする」ことができなくなる時代だと思う。家族は「する」時代である」


感想
何かの本を読んでいてこの本が参照されており、それで興味を持ち借りて読んでみようと思ったんだと思うんだけど、そのきっかけが何の本だったのかは忘れてしまった。頭の中で本同士の連結図を作成するためにも、そういう繋がりってのは覚えておかないと駄目だったな。以後気をつけよう。
でもなかなか面白い本だった。郊外の家での生活とか、子供部屋の与え方とか。まだ子供も妻もいない段階ではあるんだけど。そしてこの本のタイトルである、家族を「する」時代になったことについて。「家族は自然になれるものじゃない、意識して『する』ものである」という主張は、すんなりと納得できる。完全に同意する。「する」ものであるからこそ、コミュニケーションを取り、コンセンサスを図り、家族の関係を維持していく努力をする必要がある。お互いがそのことを意識していないとうまくいかないだろうな。というわけで、パートナーにもその認識を求めたい。
「個人のほうが生きやすい時代」ってのも、その通りなんだろうなあ。それでもなお家族を求めるのはなぜなのか?漠然とは家族が欲しいと思っているが、その思いを具体的に言語化して、本当にそう願っているのか、その思いで本当にこの先やっていけるのか、検証してみないとな。