40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

昭和史−1926−1945−

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

一市民としては、疾風怒濤の時代にあっては、現実に適応して一所懸命に生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった。これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそうなんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、そう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見えども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。ですから、歴史を学んで歴史を見る眼を磨け、というわけなんですな。

昭和史20年の教訓
1.国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。時の勢いに駆り立てられてはいけない。
2.最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意。物事は自分の希望するように動くと考える。
3.日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害。他部署の情報を一切認めない。
4.国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった、常に主観的思考による独善に陥っていた。
5.何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想。その場その場のごまかし的な方策で処理する。時間的空間的な広い意味での大局観がまったくない、複眼的な考え方がほとんど不在。
⇒根拠なき自己過信、底知れぬ無責任


感想
太平洋戦争終結までの昭和史について、詳細に解説してくれる本。五・一五事件二・二六事件、南京戦史、ハルノート等、この時代の出来事については単語単語では聞いたり勉強したりしたことはあったが、こうして一つの流れとして通して学んだことはなかったので、頭の中で系統立てて理解することができた。個々の戦闘地帯での戦績なども知ることができたし。なんだか、ようやく頭の中がすっきりした感じ。
著者は、「南京虐殺はあった」って立場なんだな。それでも、30万人はない、多くて3万人とのことだけど。この事件に関しては確固たる証拠もなく真相は闇の中なわけだけど、どちらの立場に立つにせよ、議論に耐えうる論理武装というか、自分なりの結論をはっきりと持っていないと駄目だな。主張できずに悔しい思いをするようなことにだけはなりたくない。
最後に昭和史20年の教訓を列挙しているけれど、残念ながら現代にも当てはまることばかり。特に、マスコミに煽られて一方の側に極端に偏っていく傾向ってのはそのまま。その極端が復興に向けられたのが、戦後の急成長の一因なんだろうけど、異端を認めない全体主義の傾向ほど恐ろしいものはない。少数者の意見にも耳を傾ける、客観的・複眼的な見方が育ってくるといいなあ。ネットが、そういう少数者を結び付けてある程度の大きさとしてまとめる媒体になってくれるといいんだけど。一部にはそうなっているところもあるんだろうけど、まだまだ整っていないように思う。ただ書き散らして自己満足だけで終わるんじゃなくて、実際に力を持ってくるように。ネット社会がこの先も進んでいけば、それが実現すると信じている。
過去に学ばない人間に進歩はない。例え過去について勉強したとしても、そこから教訓を引き出して実践しなければ全く無意味だ。国民を導くべき政治家まであの有様じゃなあ。でもそうやって批判だけして何もアクションを起こそうとしない人間には、それを甘受し続けるだけの結末しか待っていない。今の自分の立場で何が出来るか、よく考えて行動していきたい。歴史に学び、より良い方向へ自分を導いていきたい。
続編の戦後史も出ているので、それを読むのも楽しみだ。