40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

街場の教育論

街場の教育論

街場の教育論

教師は言うことなすことが首尾一貫していてはいけない。言うことが矛盾しているのだが、どちらの言い分も半分本音で、半分建前である、というような矛盾の仕方をしている教師が教育者としてはいちばんよい感化をもたらす。そういうものです。きれいに理屈が通っている、すっきりしている先生じゃダメなんです。それでは子どもは育たない。成熟は葛藤を通じて果たされるからです。それ以外に子どもが成熟する契機はありません。

教師がひとりの個人として何ものであるか、ということは教育が機能する上で、ほとんど関与しない。問題は教師と子どもたちの「関係」であり、その関係が成立してさえいれば、子どもたちは学ぶべきものを自分で学び、成熟すべき道を自分で歩んでゆく。極端なことを言えば、教壇の上には誰が立っていても構わない。そうではないかと思います。

私が「よい先生」という条件を実定的に規定することができないと考えているのはそのせいです。子どもに必要なのは、要するに親の育児戦略と違う仕方で子どもを葛藤させる人なんですから、一つのタイプに集約できるはずがない。


感想
内田さんの本ということで読んだ。でも、僕は別に親でもないし上司でもない。あんまり自分に関わりのあるないようじゃないかなあ、と思いながら読み始めた。なんだけど、色々と新しい知見が得られ、かなり楽しく読み進めることができた。
特に、「矛盾している教師が教育者としてはいちばんよい感化をもたらす」「成熟は葛藤を通じて果たされる」ってのは目から鱗だった。
確かに、言われたことを無批判に受け入れる人間が成熟できるとは思えない。自分の内で葛藤して考え抜き、結論を下すときに成長できる。そうだよなあ。おかげで結構気が楽になった。
僕は、自分が不完全であり、偏った、足りない人間であることを自覚している。だから、親になんてなれないと思っていた。親として、子どもを導く資格なんてあるんだろうか、って。一つの道でさえ完璧に指し示してやることができないのに。しかも、一つの道だけじゃなく、様々な価値観・選択も見せてやらなければいけない。そんなこと、出来るはずがないよな。
でも、親が完璧である必要なんて全くない。足りないこと、矛盾していることこそが、子どもを成長へと導く。学びの切っ掛けさえ用意してやればいいんだよな。僕の親は読書好きで、いつも本を読んでいた。その読書への渇望・欲望が子ども達に伝わり、こうして僕も読書が好きになった。おかげで色々な知識を取り入れることができたし、この本に出会うこともできた。そんな感じで、読書に限らず、「外部の知」を欲望するように導いてやればいいんだよな。それならば僕にも出来ると思う。
僕は、自分が完璧な人間ではないのと同じく、世の中に完璧な人間なんていない、ってのも確信してきた。そのため、師を持つことができなかった。どんなに評価されていても、結局足りない人間なんだろ?って。もちろん尊敬はするけれど、全面的には受け入れられない。一歩引いた立ち位置だった。
でも、学ぶために相手が完璧である必要なんてなかったんだな。ただ、その教師が、目的とする対象を追い求め、恋焦がれしてさえいればいい。僕は、教師からその姿勢をこそ学ぶべきなんだ。その後は自分自身で目的を追い求めればいい。なるほどなあ。
本当にいい本に出会えた。今後は色々な師に学び、自分の学びを加速していきたい。