40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

ニーチェ入門

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

道徳が不安や恐怖を起源とすること、弱さから出ていることは事実だが、そのことは別に道徳を無価値なものにしない。ニーチェ自身が何度か主張しているが、ものごとの「起源」と「本質」はべつものなのである。しかし、彼の道徳批判の最大の眼目は、道徳が人間の自然な生のありようを強く抑圧するにいたる、その奇妙な顛倒の論理を徹底的にあばくことにある。

永遠回帰:この世界観の最も単純なモデルとして、たとえばまったく抵抗のないビリヤードの台の上でたくさんの球が、摩擦によって力を失うことなく永遠にぶつかり合って動き回っている、という状態をイメージしてみるとよい。時間は無限にあるから、一定の空間の中で一定のエネルギーがその力を減じることなく運動していると、いつかある時点で、以前のどこかの時点で存在したとまったく同じ物質の配置、配列が戻ってくる可能性があるはずだ。すると、その次の時点から、一切が「何から何までことごとく同じ順序と脈絡」で反復することになる、というわけである。

世界はそれ自身の秩序を持つのではない。人間の言語および言語によって編まれたルールや制度の網の目こそが世界の秩序それ自体である。いったい何が「言葉」による世界解釈を可能にしているのか。根源的には、生命体の「価値評価」(欲望=身体)がそれを可能にしている。生命体における"つねに自己自身の「保存と生長」をめがける"「力」こそが、およそ「価値評価なるもの」の根源なのである。

生の「価値」の根拠はどこにあるか。それは彼岸にも、絶対者にも、世界や歴史の全体にもない。ただ個々の身体(=肉体)の「性欲」、「陶酔」、「生命感情」、「支配欲」、「恍惚」といったもののうちにのみある。したがって人間の世界は矛盾に満ち、苦悩に覆われ、危険きわまりないものである。「それにもかかわらず・・・」とニーチェは言う。それにもかかわらず、この世界の「あるがまま」を否認し打ち消そうとし反動へと向かうより、それを是認しそのようなものとして世界に立ち向かうことの方がいつでも必ず「生」にとってよい結果を生むのだ、と。


感想
ニーチェについての本、二冊目。一冊目に読んだ本で疑問に感じていた箇所について、自分の中で多少整理できたように思う。それを上手く言葉で表せるかは分からないけど。
まず、道徳について。ニーチェも、道徳には全く価値が無いって言っているわけではないんだな。それは人間社会に必要なものだと認めている。でも道徳は社会の安定を推し進めるため、異端を排除し、同調圧力をかけてくる。成長しようとする人間の足を引っ張り、平均化、凡庸化させる。それは才能や能力がない弱者が、強者に差をつけられないようにするのに役立つ。「出る杭を打つ」のと同じ。伸びる存在を自由に育てれば、組織や社会全体がさらに発展する可能性もあるのに、芽を摘むことによって停滞を生み出してしまう。それをニーチェは批判している。なるほどなあ。
「価値相対主義」「真理の相対主義」を認めていないのもこれと同じ。「世界についての解釈は人の数だけ存在する」ってのはその通りなんだけど、だからといってその全ての解釈を認めているわけではない。自分に都合よく解釈し、停滞や現状への安住を正当化するような言い訳は許していない。こうして世に生を享けたからには、人生を思いっきり謳歌しろ!!ってことだな。
ニーチェってかなり過激な思想の持ち主とされているけれど、こうして見てくると、結構真っ当なことを言ってるんだな。まあ、僕に響いたところだけをピックアップしたわけで、一面しか見ていない偏った「解釈」かもしれないけど。でも、この解釈は前向きな、積極的なものだし、ニーチェも悪くは思わないだろう。多分。