40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

考えない練習

考えない練習

考えない練習

感想
思考という、現実そのものに直結しない妄想に耽った報いとして、実感がスカスカになり、幸福感が損なわれるのです。それらすべての大本は、「目の前の現実はフツウすぎてツマラナイ、ネガティブな考えごとは刺激的」ということ。新たな刺激を心に与えるために、思考はネガティブな方向へと暴走してゆくようにプログラムされているのです。

これはよく分かる。嫌な、辛い出来事ばかり心の中で反芻してしまいがち。何でそんな記憶を好き好んで再生するんだろうって、すごく不思議におもっていたんだよな。心は刺激が大好きで、それが得られるためならばネガティブなものであろうが全く関係ないってことか。本当、どうしようもないな。絶対に制御してやる。


無駄なエネルギーを使わない思考、その時に最も適切な必要最低限のことだけを考えて、どうすれば無駄な思考や空回りする思考を排除できるか、さらには、どうすれば煩悩を克服できるかが、仏道のスタートであり、ゴールでもあるのです。

なるほどねえ。それは是非とも修得したいもんだ。今まで仏道に興味はなかったけど、そう言われるとちょっと心惹かれるな。


雑念にとらわれていることに気がついたら、「心を移動させる」もしくは「心の働きを変える」ことです。「考えて」しまっているなら「感じる」ほうに意識をぐーっと強めます。集中して意識をコントロールして、ぐっとつかまえて、ひとつの場所に集める。

集中力か。そういえば、前に読んだ雑誌に、「集中している時ほど幸福度が高い」って書いてあった。それと通じるものがあるな。


日本人は昔から雨音や水音など自然の音を面白いもの、興味深いものとして認識する能力がありました。いまそこにあるものから趣を感じとることができました。しかし、現代では、激しい刺激をつくり出し、強く求め続けるために、微細な刺激を楽しめなくなっています。五感を研ぎ澄ます練習をしていきますと、一見つまらなそうなものにも充実を感じてきます。

それはあるかもなあ。さらなる刺激を求めてエスカレートしてしまうと、普通の刺激では満足できなくなってしまう。より強い刺激は、その分だけ得にくいわけで、結局全体の満足度は下がってしまう。それでは本末転倒だ。微細な刺激を楽しめる人間になりたい。


「快楽」というものは実在するものではなく、基本的には「苦」が減った時に錯覚するもの、苦がなくなったことを脳が楽と錯覚するだけのこと。これが仏道の「一切皆苦」という真理です。一度、楽の味をしめると、「もっと、もっと」と、より大きな楽がほしくなって、その材料になる苦をさらに求めてしまうのです。

そんなものなのかなあ。でも、平坦な道のりだけよりは、起伏があったほうが面白いと思うけどね。


お坊さんの書いた本。信仰方向に偏った本なのかなあと構えて読んでいたけど、特にそんなこともなく、かなりためになった。人間について、その心について、突きつめて考えていこうとしてるんだな。宗教家に対する見方がちょっと変わった。まあ、みんながみんな、この著者のようじゃないんだろうけどさ。
人生をより良く楽しむための指針・ヒントを貰えた。色々な刺激・楽しみを味わっていきたいと思っているが、心が高ぶる方向の楽しみだけでなく、しみじみとした穏やかな楽しみも追っていきたい。どちらにも偏ることなく、全てを堪能したい。欲張りかな。色々な種類の楽しみを、比較・評価せず、それ自体をそのまま受け入れ味わうようにすれば、きっと成し得ることだと思う。人生に全力でぶつかり、目一杯の経験を積んでいきたい。