エネルギー論争の盲点
エネルギー論争の盲点 天然ガスと分散化が日本を救う (NHK出版新書)
- 作者: 石井 彰
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2011/07/07
- メディア: 新書
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確実にいえることは、化石燃料、特に石油・天然ガスの数値が圧倒的に高く(30〜100倍)、次に石炭(30〜50倍)、原子力(10〜20倍)と続き、再生可能エネルギー(5〜15倍)は石油・天然ガスの五分の一〜十分の一程度でしかないということである。
エネルギー源は、文明とその成長・進化・変遷に本質的に欠くことのできない要素であり、文明が高度になればなるほど、すなわち人工物に頼れば頼るほど、膨大な低エントロピーのエネルギー源を外部から注入し続けなければならない。それができなければ、私たちの社会はたちまち崩壊する運命にある。
日本は使用エネルギー総量の約45%も電力製造に投入している。電力化率25%との大きな差の原因は、主として火力発電所の発電効率、すなわち化石燃料が本来持っているエネルギー量を、何%電気に変換できたかという比率がかなり低いからである。(火力発電所の平均発電効率は四割弱)
これを最新型の天然ガス・コンバインドサイクル発電に切り替えると、発電効率は約60%となり、更にCO2排出量は同一発電量で、何と三分の二も減る。ほかの代替手段に比べるとコストアップは最小限で、かつすぐに劇的な効果がある。
各国のシェールガス可採資源量と現在の天然ガス埋蔵量の比率を単純に世界全体に適用すると、世界全体の天然ガス資源の可採年数は、現在の確認済み埋蔵量ベースの60年余りから、少なくとも400年以上に一挙に拡大することになり、将来の世界のエネルギー・ミックスにおける天然ガスの役割は根本的に変わることになる。これは真に革命である。
一般の人が考えるよりも意外に省エネルギーの余地は大きく、おそらく数ある今後の新規の原子力発電所の埋め合わせ策、代替策の中でも最大級に寄与する方策であろうと考えられる。
歴史的な実績としては、日本でも世界でも、殆どの飢饉、餓死者は、食糧を全く生産していない大都市ではなく、食糧自給率が100%を超えている農村で発生しているのである。
エネルギーの安定供給、すなわちエネルギー安全保障の要諦は、国産化を無闇に追及することではなく、地理的のみならず、顔ぶれ的、方法的にも十分に調達を多様化することと、一定量の備蓄ないし予備能力の整備である。
感想
「Chikirinの日記」で薦められていた本。エネルギー問題については色々と言われているが、それを論じるベースとして読んでおいた方がいいってことだったんで。僕も何の予備知識もなく適当なことは言いたくないからな。
この本によると、日本の総エネルギー使用量のうち、約45%が電力製造に使われている。(うち、電力になるのは20%〜25%。)残りの約55%は、モノの製造や運搬に使われている。
節電できるのは、20%〜25%の部分でしかない。しかも、そのうち家庭で使っているのは3割程度。その中で削れる部分は、と考えると。もちろん、これでも大きな節電への寄与になるだろうし、無駄な電力は使うべきではないけど。言いたいのは、節電がエネルギー使用の最重要問題ではなくて、もっと見なくてはいけない部分があるんだよ、ってこと。
約55%の部分はどんどん改善が進んでいる。モノの製造効率はどんどん上がっているし、輸送の効率化だって進んでいる。企業にしたって、ここを抑えることが利益確保に繋がるわけだから当然だよな。モチベーションは十分。まあ、人々が活動量や消費欲求を抑えてしまえば、劇的に減らせるんだろうけど。それじゃあ世の中が回っていかないし、経済が大混乱するだろうし。ある程度のところでバランスを取るべきなんだろうけど、理想解は当分見つからないだろうな。
そういうわけで、この本がスポットを当てているのは、電力製造のところ。約45%のエネルギーを使って、20%〜25%しか電力になっていない。半分は消えてしまっているわけだ。ここの効率を上げていこう、ってこと。しかも、この部分には改善へのモチベーションが十分に働いていない。利権やしがらみってやつ。方策はあるのに、それが実行に移されていない、と。
著者は「天然ガスを活用したコジェネレーションと分散化」を推している。著者の言うとおりには、全部が全部上手くはいかないだろう。でも、しがらみを取っ払い、部分最適ではなく全体最適を目指し、解決を図っていってほしい。
あと、著者の最後の主張には全面賛成。