40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

日本宗教史

日本宗教史 (岩波新書)

日本宗教史 (岩波新書)

私は、歴史を貫く一貫した<古層>を認めず、それを歴史的に形成されたものと考える。神道は古来不変にあったものではない。例えばアニミズム論にしても、そもそも一草一木に神が宿るという発想が古代の日本にあったということ自体が、成り立たない。自然そのものの絶対視はむしろ仏教の影響のもとに形成され、修験道で一般化することになる。


仏教は国家体制のもっとも内奥まで浸透しながら、しかし、仏教の宗教的権威が政治権力とひとつになることはなかった。ちょうどそのふたつの権威の接点のぎりぎりのところに聖徳太子は位置することになる。天皇のカリスマを最大限背景としながら、しかももう一方では仏教者としての最高の宗教的聖人としての権威を兼ね備え、そこに自由に伝説を付加していくことが可能になったのである。
このような太子の位置づけには、いささか突飛に聞こえるかもしれないが、「源氏物語」の光源氏を思わせるところがある。光源氏もまた、天皇の子であり、将来天皇となることも可能な立場にあったが、臣籍に降り、源氏となった。それによって、天皇のカリスマを受け継ぎながら、しかも天皇には不可能な人生の自由を獲得する。「源氏物語」が不朽の名作として読み継がれてきた秘密のひとつは、このような光源氏の性格付けに成功したからではなかっただろうか。聖徳太子の場合と較べ合わせて興味深いところである。


平安中期頃には、密教を中心とした仏教の他に、伊勢、岩清水、賀茂などの二十二社を中心とした神祇信仰、さらには陰陽道山岳信仰も盛んになり、多種多様の信仰が複合的に行われるようになった。物忌・方違えは、ケガレの観念の肥大とともに貴族の生活の中で日常化してゆく。ケガレはこの頃から非常に厳しく戒められるようになり、仏教にも取り込まれる。とりわけ死と血は厳しく忌まれるようになり、それが女性差別を助長するような結果をもたらした。



感想
仏教研究の第二弾。「日本仏教史」と同じ著者が書いた本。タイトルは「日本宗教史」だけど、メインは仏教。他の宗教は、仏教との関係を基に描かれている。著者の専門が仏教だからってのはあるにしても、神道にしたって仏教に触発されて発展していったものだし、最古の本「古事記」にしても仏教の影響の下に形成されたとなれば、仕方ないけどね。
「日本仏教史」と被る内容もあったが、良い復習になった。また、それを超えて神道儒教との関わりも知ることができたし。おぼろげながら宗教史の全体像が見えてきたような気がする。なんか楽しいなあ。とはいえ、著者も言っているように、一つの宗教の中でも様々な変遷があるわけで、宗教史を明快に解き明かすことは出来ないんだけど。そんなのは当然か。
全体の流れは大体分かってきたんで、次はまた別の角度から追っていくかな。