40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

困ってるひと

困ってるひと

困ってるひと

難病患者となって、心身、居住、生活、経済的問題、家族、わたしの存在にかかわるすべてが、困難そのものに変わった。当たり前のこと、どうってことない動作、無意識にできていたこと、「普通」がとんでもなく大変。毎日、毎瞬間、言語に絶する生存のたたかいをくりひろげている。


(特殊病院にて)わたしは、人間として、ほんとうに恥ずべきことに、内心、絶句した。重度の障害、難病を抱えた、子どもたち。わたしは、わたしは、わたしは。わたしは、ただ、その場に座り、見つめることしかできなかった。何も、言葉は思考として浮かばなかった。その意味を咀嚼したり、理解できるようになるのは、まだまだ、ずっと、先のことで。


依存できるもの、それは・・・「国家」。「社会」。「制度」。特定の誰かではなく、システムそのもの。ひとが、最終的に頼れるもの。それは、「社会」の公的な制度しかないんだ。わたしは、「社会」と向き合うしかない。


誰の痛みもわからなかった。何も知らなかった。今はすこしだけ、わかるよ。ひとが生きることの、軽さも、重さも、弱さも、おかしさも、いとしさも。ここからが、すべてのはじまり。さあ、生きよう。語ろう。


感想
「難病女子による、画期的エンタメ闘病記」とのこと。語り口は軽快で面白く、どんどん読み進めていけるんだけど、その内容は重い。タイトルの、「困ってるひと」どころの話じゃないよな。日常生活の一つ外側には、こういう壮絶な世界で生きている人がいるんだよなあ。「毎日、毎瞬間、言語に絶する生存のたたかいをくりひろげている」、なんて。そしてそれは、一時期だけのことではなく、今後もずっと抱えていかなくちゃいけないこと。想像するだに恐ろしい。その想像も、実際に体験するのとでは天地の差なんだろうし。
それでも必死で生きている。「絶望はしない」と決めている。そのなかでも人生に意味を見い出し、幸せも感じている。強いよなあ。強くならざるを得ない、ってことでもあるんだろうけど。


自分が「普通に」暮らせていることのありがたみも湧いてくる。別に、他人の不幸を糧にして、ってわけじゃないんだけど。今の自分の健康な状態に、後ろめたい気持ちなんか感じない。この世界には色々な境遇の人がいる。傍から見ている他人が、それら全てを自分のことのように抱え込んで、勝手に哀れんだり不幸だと決め付けたりするのは傲慢だと、僕は思っている。「共感」というのは素晴らしい特質ではあるけれど、結局それは自分自身の思いを読み込むことに過ぎない。僕は、安易な共感はしないと決めている。相手がそれを望んでいるのであれば、それも構わないと思うけどね。あくまで相手次第。
人は与えられた条件の中で生きていくしかない。僕だって、今後どうなるかなんて分からないわけだし。今がずっと続くわけでもないんだから、今の時間を無駄にせず、色々なことに挑戦していきたい。


本を読んでいて、著者はつくづく一人では生きられない人なんだな、と。治療時にも、怖い、怖いと、先生に、泣きついたり。友達にも、辛い気持ちを吐き出したり、色々とお願い事をしたり。先生に裏切られたと絶望の底にいた時も、結局「彼」の存在によって浮かび上がっているし。
別に、それが良い悪いじゃなくてね。人が独りでは生きていないってのは当たり前のことなんだし。ただ、僕とはあまりにも違うなあ、と。過干渉な田舎の世界で暮らしてきたからなのか、やっぱり人との関わりを自然のもの、当然のものとして受け入れているんだな。僕とは大違い。人に左右されるのは嫌いなんだよね。「依存」も嫌い。それが人ではない、制度だったとしても。依存じゃなくて、「利用」と言って欲しい。
まあ、著者の生き方のほうが色々と世界が広がるんだろうけどさ。書籍化にしても、彼女だからこそ実現したんだろうなあ。