仏教−図解雑学;絵と文章でわかりやすい!
- 作者: 広沢隆之
- 出版社/メーカー: ナツメ社
- 発売日: 2002/01
- メディア: 単行本
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しかし、仏教でめざす知恵は学問的な知恵にとどまるものではない。学問的な知恵は個別的な事物に関するものであるが、個別的な事物に普遍的な本質や原理を探求する知恵が仏教では求められた。
そして、仏教で求める知恵は哲学よりもはるかに実践的である。哲学の知恵は矛盾なく論理的に存在のあり方を探求することで、存在の内にひそむ普遍的な法則を発見しようとする営みである。仏教にもそのような傾向があるが、さらに仏教ではそのような知恵を解脱・涅槃のために活用することを実践的に求める。論理のためだけに知恵を活用することは厳しく諌められる。
龍樹は縁起を事物の相関関係であるとみなした。あるものは他のものと相互に関係することで成り立ち、それだけで独立して存在しているものはないとする。物事はすべて言語にもとづく二項の相関関係(縦横、前後、運動と停止、男女、善悪など)のなかで、人間が観念によって作り出しているといえる。
すべての事物は言語によって虚構されたのであり、縁起としてみればそこには何ひとつそれだけで自立しているものはない。このことを空ととらえ、空であるという存在の事実を空性という。この空性こそ、釈尊が見いだした何ものにも偏らない中道の思想の核心であるとした。
日本において仏教が庶民生活に浸透した決定的理由は、仏教による死者供養の儀礼が最も有効と信じられたからである。決して、高度に観念的な教理を受けとめた信仰が盛んになったのではない。インドの仏教教理学では霊魂の実在を否定するが、日本人は霊魂が実在し、不滅であるという観念を捨てることはなかった。死者の霊魂を鎮める儀礼の呪術的効果が信じられて、仏教は日本に根づいたのである。
感想
仏教研究の第四弾。正真正銘の入門書。本来だったらここから入るんだろうな。前に読んだ本は日本での展開について詳しく述べていたが、この本では、インドでの仏教の起こりと発展、それが中国を通して日本に伝わってくるまでの流れを追って理解することが出来た。入門書と言いつつ、僕にとっては情報量が多く、読み進めるのにかなり時間がかかった。でも、おかげで仏教について以前よりもよく分かるようになったな。まあ、こんなのは表面的な理解だろうけど。そして、それ以上に深入りするつもりはないけど。
僕にとっての仏教のイメージは、他力本願の「南無阿弥陀仏」であり、ただただ「信じるものは救われる」式のお手軽なものだと思っていた。だから仏教が、人の苦悩からの開放についてここまで論理的に考えていたとは知らず、とても驚いた。すごく哲学的。しかも、単に知識を得るに留まらず、苦悩の脱却(解脱・涅槃)を目的とした実践的なもの。「中道」の思想なんかは、僕も、より良く生きていくための極意だと思っているし、かなり共感できた。龍樹の思想も面白いなあ。
このように論理的思考の元に始まった仏教だけど、日本においてはそんなのは置いておいて、「南無阿弥陀仏」系の浄土教が主流を占めている。庶民は日々の暮らしのほうが大事で、飯の種にもならないことは考えていられないってことか。まあ浄土教としても、「末法の世では自らの努力で成仏することは出来ないので、仏の力に頼るほかない」っていう理屈はあるんだけど。それにしても、「誰が末法の世だと定めたんだ」って気はするけどね。
色々と考えるきっかけにもなりそうだし、もう少しだけ追っていこう。