世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)
- 作者: 植島啓司,鈴木理策
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/04/17
- メディア: 新書
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神を感じるとは、何かが自分のなかに入り込んでくる経験ではないかと思う。自分がマイナスにならないと神の入り込む余地はない。普段のプラスである自分をやめなければならない。そのためには、いつも思うことだが、話をしない、お願いをしない、触る、温度を感じる、気圧を感じる、湿度を感じる、聴く、匂いを感じる、風を感じる、感覚を開く、そして、目の前のものだけを見ることである。そうしないと何が変化したのか感じとることはできないだろう。
神仏習合、本地垂迹、修験道などの言葉によって物事を理解したつもりになってはいけない。つねに観念が先にあるのではなく、まずはそこで起こった事実を見つめようとしなければならない。観念はすぐに古くなるが、事実は色あせない。人間はいつか死ぬが、人間の残した足跡は永遠に残る。そのためには自分の足で歩きまわらなければならない。何かを媒介にしてはならない。
花崗岩の隆起、隕石の落下、火山活動といった宇宙的な出来事は、通常では顧みられることのない意識の深層を刺激するのである。われわれがこの大きな宇宙の一部分をなす存在であるという認識ほど、われわれの心に響くものはない。そこには夜空の星座群に対する喜びの感情や畏怖の念とまったく同じ意味が含まれているのではなかろうか。
感想
前に読んだ本「生きるチカラ」の著者が書いた本。その中でこの本が紹介されていたので興味を惹かれて読んでみた。世界遺産好きの僕としては、今年はこの「熊野」か、「平泉」に行こうと思ってるんで。熊野についてよく知れて、いい予習になった。なかなかに興味深い場所だなあ。
まあ、熊野のそれぞれのスポットについて詳しく突っ込まれても、あんまり頭には入ってこないんだけど。それよりも、日本古来の信仰のあり方とか、それらの変遷とか、熊野の意味・成り立ちなんかを知れたのは面白かった。観光スポットとして、「行った」という事実にのみ満足するのではなく、そこで何かを感じ、考えることができたらいいなあ。
伊勢や出雲との関わりについても述べられていた。伊勢神宮は去年行ったからな。長いこと行ってみたいと思ってきた場所だったし、感慨深いものがあった。出雲にも是非行ってみたい。