40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

狂言のすすめ

狂言のすすめ

狂言のすすめ

人間ならば、きっとどこかで無意識のうちに何らかの笑われるようなことを必ずしているはずです。否、人前でなくとも、ひとり個人の内部に巣食う異常さや変質、偏見、偏向、動揺、陶酔、欲望、業、性癖、そうした人間の持つあらゆる恐ろしくも醜いものが、頭をもたげる寸前のところを、なんとさりげなく、なんと他愛なく、面白おかしく告発し示唆していることか、そこに狂言の真価があるのです。


普通の演劇ならば、月日が経つにつれて、発達・発展の名のもとに必ず劇的なるものへ歩を進めていくものです。そしてそのほうが観客だって喜んだはずです。にもかかわらず、興味本位の他人事である劇的なものへ、狂言はけっして踏み込まなかったのです。「対岸の火事」視されるものに真理を見いだし得なかったのでしょう。
万人の身の上に共通して起こり得る事柄だから劇的でないのです。そして狂言の演技の質が様式的、あるいは能的であることは、演技の透明化がねらいなのです。そのメリットは「万人に関わることの描写」を理想としていることにほかならないのです。


狂言とは「呼応する観客の心の中で劇的な成長を遂げるべき性質に作られている演劇」だと私は思うのです。毎日の自分を見つめ、自らの人生を反省し懐疑する謙虚さを備えた人びとの心の中で、はじめて開化する芸であることを私はくり返し強調しておきたいと思います。


狂言は特定の人物の登場を嫌います。特定の人物の役は、その人ひとりの身の上だけにあること、他人に関係ないことと思われがちでしょう。この考え方が根底にあるからこそ狂言では、髪型を変えるための鬘を使用することは決してありませんし、絶対に化粧もしないのです。



感想
前に、伝統芸能に触れてみようってことで、本を読んで勉強したり、実際に見に行ったりしてみた。歌舞伎、浄瑠璃、落語とか。その流れで能や狂言にも興味があったんだけど、当時はそこまで行かずに終わったんだよな。僕の興味の流れが別の方向に逸れていっちゃったので。最近、別のジャンルの本を読んでいてたまたま狂言について触れられていて、そういえば、って思い出し、改めて手を出してみようかな、と。


狂言は、能の合間に演じられる軽い・薄い演目ではない。狂言がそうあるのは、深い思想あってのことなのだ。」ってのが、大まかな著者の主張。個人的に、物事を深読みしてそこから教訓なり思想を汲み取るってのは好きなので、著者の思いには素直に応じられた。ただ、この見方は結構異端みたいだな。著者は周りのそういう風潮を批判してるんだけど、狂言の解説者や演者自身にまでそれは広まっているようだし。


著者がこの本を出したことで、狂言界に何かしらの変化があったのかは分からないけど。Amazonのレビューもなかったので、この本の客観的な評価がどうなのかも分からない。ただ、あの松岡正剛さんも評価しているようだったし、曲論ってこともないんだろう。本の内容としても、筋が通っており、納得感があったしね。


まあ、何も考えずにただただ楽しむってのも、この世の中を幸せに生きていくためには必要だと思う。どちらの考えがあってもいいよな。こういう、どちらにも好きなように取れる柔軟性や懐の広さってのが、僕には心地いいなあ、と。何でもかんでも型に嵌ったガチガチの世の中じゃあ、生き辛いからね。それが僕の思いではあるんだけど、色んな主張をする人がいるからこそ、そういう状態を楽しめるわけで。今回の本で一つの見方を知れたのは面白かった。また今度は、別の側からの主張を知ってみたいな。