- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/05
- メディア: 単行本
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児玉は、成功した。かれは砲兵陣地を大転換することによって歩兵の突撃を容易ならしめ、六千二百の日本兵を殺した二〇三高地の西南角を一時間二十分で占領し、さらにその東北角をわずか三十分で占領した。明治三十七年十二月五日である。
おもえば、最初、海軍が海上から発見したこの二〇三高知という大要塞の弱点を、乃木軍司令部が素直にみとめ、東京の陸軍参謀本部が海軍案を支持したとおりに乃木軍司令部がやっておれば、旅順攻撃での日本軍死傷六万というぼう大な数字を出さずに済んだであろう。
旅順における両軍の兵員の損害を比較すると、ロシア軍の戦闘員は四万五千、このうち死傷は一万八千余。さらにこのうち死んだ者はわずか二、三千人にすぎない。
日本軍の場合は、兵力十万。そのうち死傷六万二百十二人で、六割の損害というのは世界戦史の上でもまれである。さらにこのうち死者は一万五千四百余人で、一割五分という凄惨さである。
日本人のものの考え方は、大陸内での国家でなかったせいか、物理的な力で防御力を構築してゆくというところにとぼしい。防御戦というきわめて心理的な諸条件を必要とする至難な戦いをするには、民族的性格がそれにむいていないからであろう。
感想
旅順編クライマックス。二〇三高地を本格的に攻めることになって、たった一日で陥落してしまうってのはどうなんだろうね。今までの苦労は一体なんだったんだろう。そしてこの日を境に、戦況は一変する。もしも本当に、乃木軍の頑なさのせいで無為に人命が失われていたんだとしたら、こんなに酷いことはない。
とはいえ、この「坂の上の雲」の記述をそのまま受け取っていいのか、っていう問題もあるんだけど。Wikipediaの児玉源太郎の項によると、ちょっと事情が異なるらしい。「攻撃部隊の陣地変更なども為されておらず、従来言われる児玉の指揮介入も大きなものでは無かった事から見て、203高地は殆ど従来の作戦計画通りに攻撃が再開され第三軍の作戦で1日で陥落した事がわかっている。」とのこと。確かに、「坂の上の雲」通りだとしたら、劇的すぎるよな。
たった100年程度昔のことでも、ここまで情報は食い違う。しかも、同じ民族が自民族について書いたことですら。これが何百年も昔のこととか、他民族のことともなればどうなることやら。歴史の難しさってのを痛感させられるよな。
旅順ではかろうじて勝てたけれど、戦いはまだまだ続く。日本にとっては、負けられない戦いばかり。黒溝台会戦についてもそうだけど、よくそんな幸運が続くよな。本当、よく勝てたもんだと思わされる。
実は僕は、203高地に実際に行ったことがあるんだよね。もう9年前になる。当時ももちろん旅順とか203高地についての一般的な知識はあったけど、今ほど歴史に詳しくなかったし、「坂の上の雲」も読んでいなかったし。もったいないことをしたなあ。特になにがあるというわけでもなく、ちょっと物足りなかったことを憶えている。もし今の僕が行ったら、当時とは全く異なる感慨を抱くんだろうなあ。ちょっと惜しい。