暇と退屈の倫理学
- 作者: 國分功一郎
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2011/10/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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世間では、考えることの重要性が強調される。だが、単に「考えることが重要だ」と言う人たちは、重大な事実を見逃している。それは、人間はものを考えないですむ生活を目指して生きているという事実だ。だから人間は、考えないですむような習慣を創造し、環世界を獲得する。人間が生きていくなかでものを考えなくなっていくのは必然である。
習慣は人間を一定の安定した状態に保つ。だが、この状態は、退屈という不快を否応なしに生み出す。人間は本性的に、退屈と気晴らしが独特の仕方で絡み合った生を生きることを強いられているのだとすら言いたくなる。
どんなにすばらしいものであっても、誰もが「思考を強制」されるわけではない。自分はいったい何にとりさらわれるのか?人は楽しみながらそれを学んでいく。自分にとって何がとりさらわれの対象であるのかはすぐには分からない。そして、思考したくないのが人間である以上、そうした対象を本人が斥けていることも十分に考えられる。しかし、世界には思考を強いる物や出来事があふれている。楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。
感想
久しぶりの哲学本。順を追って思考を積み重ね、結論を追い求めていく過程ってのは楽しいよな。普段自分が全く気に留めていないようなことについて、目を開かせてくれるというか、客観視・俯瞰視させてくれるというか。こういう機会を定期的にもつってのは大事だと思う。
人間ってのは、「考えないですむ生活を目指して生きている」のに、退屈には耐えられないなんて。矛盾してるなあ。多分、このスパイラルが、未知を既知に変えていく原動力になり、生存確率を高めるんだろう。
退屈しのぎなのだとしても、僕が「とりさらわれる」対象になるものが、周りに益をもたらすものだったら面白いのになあ。今後も、それを探す作業に暇を費やし、退屈をしのいでいこう。