40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

ピカソは本当に偉いのか?

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)

ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)

ピカソの絵は美しいのか?結論からいえば、ピカソの絵は美しくない、ということになります。
ピカソの絵は上手いのか?この疑問については、驚異的に上手い、としか答えようがありません。


絵画ビジネスに関して抜群の才覚を持っていたピカソは、その時々の市場の状況に呼応して自身の作風を変幻自在に転換してみせています。ピカソが持って生まれた破格の天分と、父親が施した英才教育による絵画技術の所産であり、同時に、彼の持ち合わせていた機を見るにおそろしく敏な商才の賜物といえるでしょう。


ピカソに限らず、周囲にカリスマ的な影響力を及ぼす人の多くは、それが意識的なものであるか否かを問わず、自身の感情をあらわにすることに長けています。いうまでもなく、人前で不機嫌な顔を見せることを躊躇しない人というものは、それを隠す人よりは人間としての成熟に欠けています。が、人間関係は不思議なもので、往々にしてこうした未成熟な人格が、成熟した人々を支配下に置いてしまいます。


彼が世に問う作品には、伝統的な意味での美という感覚がもたらす心地よさではなく、美意識や価値観そのものに揺さぶりをかけるような衝撃が望まれたわけです。
じつは、そうした破壊的な衝撃を備えた「前衛」という立場に、さらに強力な根拠を与えたものに、登場したばかりのダーウィンの進化論がありました。進化論が登場する以前、変化や刷新というものは、基本的にネガティブな意味しか持っていませんでした。神が最初に全宇宙を創造したとするキリスト教の世界観に従えば、真なるものや美しいものは、太古にその理想型を与えられていることになります。
ダーウィンの進化論によって、変化するということが「向上」を意味し始め、その変化による「生存競争」の概念が定着しました。つまり、時代の変化に乗り遅れたものは生き残れない、という考え方が定着することになったわけです。そして、美術もまた、適者生存の原理に従い、変化しないことには未来に向けてその生存を確保できないと考えられるようになったのです。かくして、革新的であることが時として「美しい」ということをさえ凌駕する、「前衛」に特有の美意識が確立されることになりました。



感想
ニコ生で岡田さんが紹介しており、興味を持ったので読んでみた。僕も、ピカソの絵の良さはよく分からなかったので。ピカソについて、また当時の時代背景や、美術史の流れなんかがコンパクトにまとめられており、とても面白い本だった。


ピカソの絵が評価されている理由や、高値の理由が分かった。物事にはそれに至る理由が色々とあるわけで、表に現れた一面だけを見て、それにつられて自分の価値観を歪ませるものではない。いつでも、その裏を、真意を探っていきたいと改めて思った。


岡田さんは、「西洋美術は終わコン」と言う。そもそも、西洋美術の土壌はそれほど豊かなものではない。それよりも、日本で花開いている大衆文化のほうが上、と。
見る人に衝撃を与えること、何らかの感情を与えることを作品の価値とするならば、確かにアニメやマンガ等のほうがレベルが上と言えるよなあ。正直な話。体面を気にして、わざわざ得られる経験値を減らす必要は無い。


一方で、経験の幅を広げたいとの思いもある。美術と、日本の大衆文化とでは、衝撃の種類や響く場所に違いがあるようにも思うし。使う頭の場所も。だから、今後とも美術館は利用していきたいな。
「美術館は、『美』本来のありようから切り離すもの」という見方もあるけれど。それが存在するからこそ、効率よく作品を楽しめるし、本来は見れないものが見れたりもする。作品そのものを楽しむのもいいけれど、その歴史・文化などの背景を考えながら見るとか、色々な鑑賞法を楽しめるといいよな。