自省録
- 作者: マルクスアウレーリウス,神谷美恵子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/02/16
- メディア: 文庫
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君の分として与えられた環境に自己を調和せしめよ。君のなかまとして運命づけられた人間を愛せ。ただし心からであるように。
名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。
存在しないものを、すでに存在するものと考えるな。それよりも現存するものの中からもっとも有難いものを数えあげ、もしこれがなかったら、どんなにこれを追い求めたであろうかということを、これに関して忘れぬようにせよ。しかし同時に、これをたのしむあまり重要視しすぎる習慣に陥り、そのためにこれがなくなったら気も顛倒してしまうようなことにならないように注意せよ。
君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。また、自分の考え方を正すのを誰が妨げよう。
苦痛と快楽、死と生、名誉と不名誉等、宇宙の自然が無関心な態度をもって扱うものにたいして自分もまた無関心な態度を取らない者は、明らかに不敬虔である。
自分にうぬぼれのないことを自負して、それでうぬぼれている人間は、誰よりも一番我慢のならないものである。
訳者解説
ストア哲学の思想というものが現代の我々にとっていかなる魅力を持つかと考えてみると、そこには自らある限度がある。この教えは不幸や誘惑にたいする抵抗力を養うにはよい。我々の義務を果させる力とはなろう。しかしこれは我々の内に新しい生命を湧き上がらせるていのものではない。
「われらの生活内容を豊富にし、われらの生活肯定力を充実しまたは旺盛にするものではない。」(三谷隆正『幸福論』)
感想
古代ローマ帝国において、五賢帝の1人に数えられたマルクス・アウレリウスの自省録。この人の生涯については「ローマ人の物語」でも読んでいたし、その他色々なところでこの本の存在は取り上げられており、興味は持っていた。こうしてようやく読むことができて良かった。
この本を一言で言ってしまうと、格言集だな。マルクス・アウレリウスはストア哲学者で、その思想に基づいた格言を様々取り上げている。ただ、前にも言ったけど、格言集ってのはなかなか新たな気付きを得にくいんだよな。それぞれの言葉が並列に置かれていて、一つ一つを掘り下げるわけではない。だから、こちらが元々持っていた思想をピックアップさせるばかりで、考えを変えさせられるとか、目から鱗とか、そういう経験が出来ない。こちらとしては、思想の強化よりも、視野・思想の拡大を図りたいところなんで。まあ、単に僕が、こういう本に合わせた読み方が出来ていないだけなんだろうけどさ。それも含めて、格言集ってのはちょっと苦手。
なので新たな収穫があったってわけではないんだけど、別の意味ですごく楽しい読書にはなった。マルクス・アウレリウスの思想、というかストア哲学が、僕の考え方にかなり一致してたんで。上に抽出した言葉以外にも、納得・共感できるものばかり。
ただ僕の場合、この本で繰り返し出てきた宇宙・自然が、完全なもの・絶対のものとは思っていない。「絶対不可侵とは思っていない」くらいの意味であって、結局のところ、こちらからどうこう出来るようなものではないけどさ。「絶対は無い」という前提からスタートし、理不尽でも受け入れざるを得ないとなった時、「どういう風に考えたら一番耐えやすいか、より楽に・より楽しく生きられるか」って考えたところから、今の僕の思想が成り立っている。芯の硬さでは劣っても、柔軟性という点では勝っていると思っている。折れることが無い、という点でも。まあどちらにせよ、同じような在りようになるんだけどね。
ストア哲学の思想に親しんでいるからこそ、訳者解説にもあるような問題点を持っているのも分かっている。受身な思想なんだよね。
限界まで挑戦しないと、自分の本当の限界は分からないし、それを拡張することも出来ない。それも分かっているんだけど。分かってはいても、それをしないのが、僕の生き方なんだろうな。後悔は避ける。実を結んでも結ばなくても構わない、その過程を楽しめるのであれば、挑戦もする。あるいは、挑戦しないことが後々不幸を生むとか、後悔に繋がると判断すれば、たとえ失敗するとしても挑戦する。全て、行動前と行動後の幸福量を比較して行動する。理想や熱意によって行動するわけじゃないんだよな。
そこから脱却するために色々取り組んでいることもあるけどさ。でも、僕の本当のベースはこれだなあ。それはそれとして受け入れて、その上で判断・行動していかないとね。
それにしても、権力を持つ人間がこういうふうに公明正大に生きてくれると、下の人間は助かるよね。こういう人間がトップにいる事例が少ないのは、それを目指そうとしないからだろうね。上が引っ張り上げてくれれば、立派に勤めるんだろうけど、自分から上に這い上がろうって意欲は持っていない。さて、僕の場合はどうなることかな。というか、既に結論が出ているような気もするなあ。