40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

早わかり*日本史 スーパービジュアル版−アタマにしみ込む!歴史の動き!

スーパービジュアル版 早わかり日本史

スーパービジュアル版 早わかり日本史

白河上皇が、院庁を解説した1086年を院政の始まりと考える。白河上皇は、43年にわたり「治天の君」と呼ばれて政界に君臨した。上皇の力の強大さは、直属の武力を有していたことと関係する。それは「北面の武士」と称する武芸の達人を集めた親衛隊である。
貴族は例外なく仏教信者であったから、無理な要求をかかげて入洛してくる僧兵に仏罰を恐れ手出しができなかった。ところが武士たちは、平然と僧兵を討ち殺したのである。つまり、上皇に子飼の武士がいるということが、そのまま院庁の権威を増大させる要因になっていたのだ。
院政は、3代約100年にわたって続く。しかし皮肉にも、武士を重用し過ぎた結果、強大化した彼らに政権を譲ることになってしまうのだ。


定説となっている1192年の鎌倉幕府成立は、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任ぜられた事実をもとにしている。だが、これは歴史家のあいだでは少数意見だ。
軍事政権の誕生という意味で幕府の成立を考えるなら、鎌倉幕府の基盤である御家人と頼朝との封建的主従関係の成立に不可欠なのは、守護・地頭の任命権である。任命権を得たことで御家人を守護・地頭として諸国に派遣可能となり、全国に支配権が及んだといえる。つまり現在は、1185年説が最も有力なのである。


大坂夏の陣。豊臣方は勝ち目がないことを自覚していた。つまり残っているのは死を覚悟した者たちだ。死兵は強い。とくに真田幸村隊1万の勇猛さは、群を抜いていた。その幸村が、討ち死に覚悟で家康の本陣を目指して突撃する。徳川本陣はたちまち蹂躙され、旗本たちは家康を残して逃げ散り、とどまったのは、小栗久次ただ1人であった。家康は絶望して「もうだめだ。腹を切る!」と2度まで叫んだと伝えられる。幸運なことに、家康の危機を知った諸将の後援により、幸村は討たれた。
大坂夏の陣で家康は死んでしまったとの説がある。実際、周辺に家康の墓と称するものがあり、以降の家康は影武者だったという。)



感想
歴史に親しもう企画として。各時代にフォーカスしていくのも面白いけれど、やっぱり初めは通史から始めるべきだよな。全体構造が分からないと、各時代の立ち位置も理解することができないし。


というわけでこの本。日本史の大体の流れは、こうして読んでみれば「そうだったよな」と確認できるものではあるけれど。でもそれはやっぱりその瞬間に文章で読んでいるからであって、記憶としてしっかり定着しているものではない。知識として、他でも縦横無尽に利用できるものではない。なにせ、僕は日本史を大学入試科目として選択しなかったからな。一度も、自分のものとして会得したことがない。まあ、暗記して高得点を取ったからといって、それを上手く活用できるものではないだろうし、その記憶を保ち続けられるわけでもないだろうけど。だとしても、徹底的に勉強する機会を持てなかったってことが、自分の中でずっと引っ掛かり続けている。


この機会に、その心残りを払拭しよう。センター試験で8,9割取れるくらいを目標にしようかな。やっぱり数値で表せる明確な目標があったほうが意欲も湧くしな。暗記に関してはあまり肯定的ではないんだけど、たまにはこういうのもいいだろう。
下記の本も買ってみたので、繰り返し読んで、まずは流れをしっかりと把握しよう。

超速!最新日本史の流れ―原始から大政奉還まで、2時間で流れをつかむ! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS)

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