40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

勝ち続ける意志力

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

自分にとっての特別な何かを見つけなきゃ、と考えるようになったのは、確実に父の影響だ。父は、自分自身がやりたいことをやり切れなかったという無念と後悔から、「もしお前が本気でやりたいことがあるんだったら、いくらでもサポートしてやるから、何か見つけて徹底的にやれよ!」そんなことを言う親だった。ただし、その何かを勧めてくれることはなかった。だから、僕は迷った。


僕にとって何が自信につながったかと言えば、それはゲームの上手さや強さではなく、苦手なものを克服しようとしたり、あえて厳しい道を選んだりする自分の取り組み方、高みを目指す姿勢を貫けたという事実があったからだ。手を抜かず徹底的に追求することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。
あえて厳しい道を選択しなくてもいい人は、それはそれで幸せだと思う。毎日の生活が充実していると感じるのなら、あえて厳しい道を歩むことはないだろう。しかし、誰にも認められなかった僕の場合は、ガムシャラに頑張らざるを得なかった。自分に自信を持つため、つらいけど荒療治をするしかなかった。


僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。昨日と同じ自分でいない−。そんな意識が自分を成長させてくれる。ゲームの世界においては、変化なくして成長はない。良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし経験から言うと、ただ変え続けるだけで、最終的にいまより必ず高みに登ることができる。


昔は、感情の振れ幅が大きい人生に憧れていた。すごく楽しいことがあり、その楽しさを手にするためにすごく苦しいことを我慢する。そういう人生が格好いいと思ったし、そんな人生を送っている人が偉いと思っていた。けれども、そんな人生は疲れるだけだと気がついた。いまの僕は、そんな人生にはまったく魅力を感じない。上がっては下がりの人生を送ってきた僕だから、日々の小さな幸せを敏感に感じることができる。ようやく、自分が生きていくペースをつかめたような気がする。
無理をせず、背伸びもせず、毎日毎日、自分にできる範囲の精一杯を繰り返していく。そんな単調になってしまうかもしれない毎日だからこそ、自分を変化させることを怠らず、小さくてもその変化を心から楽しみ、一日一日を味わい深く噛み締める。だから、「このときまでに何かをしなきゃいけない」なんて目標は立てない。ただ、目の前のことに集中して粛々と歩んでいく。



感想
「Chikirinの日記」で4月いっぱい特集されていたプロ格闘ゲーマー・梅原大吾が書いた本。僕自身、格ゲー歴はストZERO2までなんで全然詳しくはないんだけど、梅原については、ニコ動で一時期盛り上がっていたことがあって知っていた。その時はそれ以上深く追わなかったんだけど、今回のちきりんの特集で興味を持って読んでみた。一読し、そのゲームに向かう姿勢・生き様に圧倒されてしまった。


小学生の頃から「やりたいことを見つけなくちゃ」と焦っていたという話。親の教育方針というのは、改めて恐ろしい影響があるよなあ。子どもの自主性を尊重するのはいいけれど、何の指針もないところでそんなこと言われたって困るだけ。思考力や知識がまだ不十分な時期に、そんな重荷を背負わせるなよ。これも、親の押付けの一種だと思った。このことが、梅原少年の精神の安定を損なった面もあるんじゃないかと思う。まあ、何がどういう結果を招くのかなんて事前には分からないし、僕の一方的な意見ではあるけどさ。「考え続ける」という点においてはプラスだったんだろう。


そして、勝負の世界の厳しさ。ここまでのストイックさを要求されるのは、勝者総取りの世界ならでは、なのかな。僕は絶対にそういう世界は目指さないよ。効果・効率なんて言っている人間だからね。
ビジネス界も、トップを目指す争いにおいては同じように熾烈なものがあるんだろう。でも、それを目指すのでなければ話は別。基本を押さえるだけで、ある程度のところまで行ける。ビジネス書だって結局、その基本についての話ばかりだからな。それだけ、基本も出来ていない人が多すぎるってこと。もちろん、僕も含めて、だけど。


極端なことを言わせてもらえば、なんでそこまでして上を目指さないといけないのか。それを目指す過程にも意味・価値があるってのは分かる。でも、手に入らないものを目指して鬱屈を抱えるのが、本当に幸福に繋がるとは思えない。
考えない練習」って本の中に、「『苦』からの解放を『快楽』と感じているだけ」という仏教の思想が紹介されていた。まさにこれなんじゃないかと。大きな快のために大きな苦を背負ったって、差し引きした幸福度は大したものにならない。必ずしも成功しない分、マイナスになる可能性のほうが高い。
僕は「成長」それ自体にはそれほどの価値を置いていない。僕にとっては、成長することでどれだけのものが得られるのか、のほうが重要。もちろんそこには、すぐに得られる効果だけでなく、長い目で見て回収できることや、最悪を避ける保険の意味も含めているけれど。そこら辺の見積もりの違い、ってだけの差じゃないように思うんだよね、「成長」を求めている人って。まあ、人生なんて死ぬまでの暇つぶし、いかに自己満足を得られるかの勝負なんで、その人がそれでいいのなら別にいいんだけどさ。


こんなところが僕の考え方。ちょっと否定的な感じになっちゃったかな。全力で生きていない自分に対して、過剰防衛に走ってしまった面もあるかも。でもまあ、人の考えなんて一定したものじゃないからね。様々な出来事に触れ、立ち位置が揺れ動く。この本にしても、前半で否定したことが後半で肯定されていたり、その逆があったりと、著者の考え方の変化が描かれていたからね。
まとめとしては、「成長」までは求めないとしても、「変化」は肯定的に受け入れていこう、って感じかな。著者の最後の立ち位置には同意できる。