40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

「感情」の地政学

「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか

「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか

本書では「恐れ」、「希望」、そして「屈辱」の三つの基本的感情に焦点を当てている。しかしなぜこの三つなのか?その理由は、この三つの感情が「自信」という概念と切っても切り離せないからだ。自信とは、国家や人間が、自らの抱える難題にどのように取り組むか、また互いとどのようにかかわり合うかを決定づける要因である。
三つの感情は、自己に対する信頼の度合いを映し出す。自信は個人にとってと同様、国家や文明にとっても大切なものだ。


恐れの文化: アメリカ、ヨーロッパ
屈辱の文化: アラブ・イスラム世界
希望の文化: アジア(特に中国、インド。日本を除く)



感想
地政学に興味があったんで読んでみた。僕も購読している「フォーリン・アフェアーズ」誌で発表された論文(2007年1月)を基にした本とのこと。でもAmazonでの評価は決して高くないし。期待半分、不安半分という感じで読み始めた本だけど、僕にとってはあまり実りのある読書にはならなかったな。
著者は「単純化された世界観は危険」と言う。楽観的な見方、悲観的な見方。仰るとおり、1つの見方にこだわることで見落としてしまうものもあるだろう。「感情」という新しい視点でもって、そうした世界観を修正する、という試みは良かったと思うんだけど。地域を「恐れ」「希望」「屈辱」の3つに色分けするなんて、それこそ単純すぎるだろ。なんか肩透かしを食らった気分になってしまった。それによって新しい解釈を持てたわけでもなかったし。


例えば、中国は「希望」に分類されている。もちろん、国民の大多数が「今後良くなる」という思いを持っているのは事実だろう。だとしても、この国がそれ一色のみのわけがないじゃないか。その裏にどれだけの犠牲があることか。内に色々な矛盾を抱え、外に矛先を向けることで逸らしている部分もある。そういう細かい?部分を切り捨てて「希望」と言ってのける大雑把さはどうなんだろう。
アメリカ、ヨーロッパを「恐れ」と言い切るのもまた大雑把だと思う。結局、恐れと希望の差って、経済的に上昇余地があるかどうかの違いだけじゃないか。そこに「屈辱」を混ぜてちょっとひねってみただけ。


日本についても記述もまた。『日本は今日のアジアで、特異で傲慢な「ニッポン」として、近隣諸国の大半から疎まれている。』なんて言うんだよね。まあ、範囲を特亜に限定すれば仰るとおりなんだろうけど。その「近隣諸国」って、何ヶ国で言ってるの?まったくもって、記述が恣意的すぎて誠実じゃない。結論ありきの誘導。印象操作。そう言われても仕方ないだろう。それほど詳しくないのなら、無理に述べようとしなくていいよ。日本を「希望」から外すために何か言わなくちゃいけなかった事情は分かるけどさ。日本が自信喪失し、「恐れ」の文化に陥っているってのは、まあそうなんだろうし。


そんな感じで反発を感じながら読んでいたので、実りのない読書になったのも当然か。