読書について
- 作者: アルトゥールショーペンハウアー,Arthur Schopenhauer,鈴木芳子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/05/14
- メディア: 文庫
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多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。生まれながら凡庸で単純な多くの人間は、博識が仇となってますます精神のひらめきを失う。
他人の考えで踏み固められた道に慣れ、その道筋を追うあまり、自分の頭で考えて歩むべき道から遠ざかってしまう。
思想の価値を決めるのは、素材か、表現形式だ。素材とは「何について考えたのか」であり、表現形式とはどう素材に手を加えたのか、「どう考えたのか」だ。
これは会話においても通用する。
作品は著者の精神から抽出されたエッセンスだ。だから作品は、どんなに偉大な精神の持ち主であっても、著者本人とのおつきあいとは比べものにならないほど、常に内容豊かで、(著者本人を)はるかにしのぎ、凌駕する。
感想
「座右の古典」で紹介されていた本。僕も平均以上には本を読むほうだから、多読の弊害については気を付けないとな。一応こうして本を読み終わった後は感想を書いており、読みっぱなしにしているわけではない。思考の結果がこの程度か、と言われたら返す言葉はないけど。
まあ、その程度だったとしても、こうして考える時間を作るのは貴重だなあと思うんだよね。それなりに頭の訓練になっているし、移ろいゆく自分の思考を留め、後になって過去の自分の思考を振り返るのも結構楽しい。変わった部分、変わらない部分を分析したり。
これを続けることで、考える力が向上していったらもっと嬉しいんだけど。そのためには、もっと時間をとって推敲を重ねる必要があるよなあ。思考を抽出し尽くせたと感じることはあまり無い。とは言っても、他にも色々とやりたいことがあるため、これ以上かけるのはなかなか難しいんだけど。
「著者本人よりも作品」って考えは僕も一緒。この考えは前々から変わってないなあ。自分自身にもばっちり当てはまるし。といって、自分の思想を知人に知られたいとは思わないけど。