40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

想いの軌跡−1975−2012

想いの軌跡―1975‐2012

想いの軌跡―1975‐2012

亡国の歴史が美しい悲劇であるのは、国民全体が堕落して衰亡していくからではない。バカだけならば、悲劇にはならない。人材は、衰退期にも輩出するのである。ただ、国が衰退してくると、その人材を活用するメカニズムが狂ってくるのだ。亡国の悲劇は、そのようにして活用されずに死んでいった、能力ある人々の悲劇である。


人生には、ある程度の無駄が必要だ。無駄をしないと、ほんとうに有益なことさえもできなくなる。


書評は、書評される書物の評ではなくて、書評する人の評であると思う。私の作品を使って、書評氏は、自分自身を語っているのだ。
英雄も、召使の眼から見ればタダの人、という言葉がある。タダの人である召使の眼から見たゆえに、タダの人ではない英雄もタダの人になってしまったのである。



感想
ローマ人の物語」の塩野七生さんが色々な媒体で発表してきた、書籍化されていないエッセイの集積本。こういう形式の文章よりも、一つのテーマについてがっつり語ってくれた文章の方が好みではあるんだけど。ただ、幾つか引っ掛かる言葉を拾えたんで、それだけで十分満足。


人材を活用について。政治方面に才能が集まらなくなってるってのは、現代においても今更の話。その才能は、今はどこに集まってるんだろう。価値が画一化されていた時代は、一つの分野に才能が集まり、そこで揉まれることでより大きな才能が育っていたと思う。でも、今の時代は多様化により、一つ一つの分野に集まる才能は小粒になったんじゃないかな。
自分に関心ない分野が盛り上がったって仕方ないし、そういう面では多様化はありがたいんだけどね。


浪費について。無駄を削ぎ落としすぎるのが僕の性向だし、意識して多少和らげようとは思っている。やっぱり、何事も極端は良くないだろうからね。ここら辺が、塩野さんと島地さんの通じる部分なのかなあ。
無駄を受け入れてもいいから、有益なものを手に入れたい。必要経費。って、そんな考えでは、本当の意味で無駄を受け入れているわけではないのかもな。難しい。


書評について。これは本当にその通りだな。今の自分のレベルまでしか情報は取り入れられない。本との相性や、著者の力量も多少はあるにしても。このブログにしても、自分の浅さを世間に晒して、何してんだかなあ、とか思ったりするしね。でもこうして続けることで少しずつは成長していると信じ、知識を取り入れ、考察をし続けていきたい。
そして、せっかく成長目指して読むのであれば、自分の都合のいいように解釈したり、自分の思い込みによって真実を捻じ曲げたりしたくはない。「自分の見たいものしか見ない」ようにはなりたくない。
でも一方で、正しいことがそのまま自分の益になるわけでもない。間違った解釈・連想でも、その時点での自分の益・糧になるのならば、それもまたいいのかな、とは思う。分かっていてあえて、ならね。まあ、そうやって外に対してのポーズなんて取る必要もないんだけどさ。自分にとって最善であると思えるのであればどっちでも。
とりあえず、このブログの説明文を更新しておいた。