文明が衰亡するとき
- 作者: 高坂正堯
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/05/01
- メディア: 単行本
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「官僚制を動かす資金を得るために、財政の圧力は妥当な限度を超えてしまった。その圧力の直接の犠牲者は中小の有産者であり、彼らは次第に大資産家に吸収されて行った。その大資産者は圧力が耐え難くなると、脱税や特例措置によって自らを守った。」
「時間的余裕に恵まれた都市市民の階級と田園にあって都市住民を支えるために労苦する大衆」との二極分解
われわれは十七世紀のヴェネツィア自身に衰頽の様相が存在したのを見て来た。新しい事業に乗り出す冒険的精神や活力の衰頽と守旧的性格の増大、自由で開放的な体制から規制と保護の体制への変化、すなわち柔軟性の喪失と硬直化といった言葉でそれは表現できるであろう。
通商国家の生き方には逞しさを衰頽させるところがある。絶え間なく変動する国際情勢に巧みに対応することは人々を疲れさせる。しかも、その対応とは、所詮妥協だから、それをくり返しているうちに、自分たちの生き方への確信が失われる危険がある。
その結果おこるのは、あるいは社会のなかの分裂的傾向であり、あるいはより平穏な生き方への復帰を求める傾向であるだろう。前者は通商国家の広くて脆弱なネットワークを瓦解させる。後者は変化への対応力を弱める。変化への対応力の弱まりは日本の衰頽ということになる。
感想
塩野さんの本「想いの軌跡」で本書が紹介されており、興味を持ったんで読んでみた。過去を教訓とし、未来への指針とする。そのやり過ぎについては、本書内でも注意されていたけどね。
「ローマ衰亡論をあらわした人々は、ほとんど例外なく、その時代の暗黒面、あるいは懸念を以て、ローマ衰亡の基本的な原因としているのである。」って指摘は面白い。確かにその通りなんだろうな。あらかじめ結論を持って物事を見ては、全体を見損なう。原因の一つには間違いないとしても。僕も常に心がけようとしていることではあるけれど、冷静で客観的な視点を大切にするようにしたい。
だとしても、人間性ってのはいつの時代も変わらないものであり。現代に当てはまることも多く、結構考えさせられる本だった。それは社会・国家の生き方だけでなく、個人の生き方においても。
特に、ヴェネツィアの項。「過去の蓄積によって生活を享受しようという消極的な生活態度」とか「結婚しない人が増えた」とか。まんま、僕に当てはまる。早期リタイアってのも、変化への対応力を失わせるものだからな。衰頽への道、かねえ。
もちろん、不測の事態が起こっても対応できるように十分なバッファーを取るつもりではあるけれど。このまま働き続けるってのが一番固い道であるのは変わりない。といっても、サラリーマンをしている時点で、かなりの部分を組織に預けているわけで、何を今更って感じもするかな。自分の適性や費用対効果を鑑みて選んできた道。不満はない。備えるだけで終わるつもりもない。自分なりのリスクをとり、実を刈り取っていきたい。後ろ向きに積極的って感じだな。
あと、ヴェネツィア人の「合理主義から教条主義への変化」ってのも興味深い。一度合理性を獲得したとしても、それを保つには強い精神が必要とのこと。自分は絶対に大丈夫などと驕るつもりはない。抗い続けていこう。