40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

戦国・北条一族−関東制覇の栄光と挫折

戦国・北条一族 (Truth In History 17)

戦国・北条一族 (Truth In History 17)

古来、日本は68か国(66州、壱岐対馬)から構成され、都を中心とする7地方に行政区分された。これを「五畿七道」という。畿内は5か国で、それ以外の諸国は、西海道南海道山陽道山陰道北陸道東海道東山道に属する。


上記の諸国を結ぶ街道には、国境の峠に関が設けられた。交通の要所であり、軍事上の重要拠点である。
東海道足柄峠(後に箱根峠、駿河−伊豆−相模国境)
東山道碓氷峠信濃上野国境)
北陸道三国峠(越後−上野国境)
この峠を越えた地域が「関の東」、すなわち関東であり、「峠の坂」にちなんで坂東とも呼ばれた。


直前の島津征伐と北条征伐とでは、対応が180度異なる。島津氏は助命&本領安堵、北条氏は切腹&所領没収。北条氏への対応だけが、異様なまでに厳しいのだ。しかも途中までは、少なくとも「伊豆・相模安堵」の線で、和睦折衝がなされていた。にもかかわらず、話は立ち消えとなり、一転して過酷な処分が決まる。
その背景には、何があったのだろうか?憶測を述べれば、「北条氏には、安堵に値する本領がない」という理屈が、秀吉サイドに存在したように思う。「伊豆・相模が本領といっても、北条氏の分国は、すべて奪ったもの」。北条氏は故家ではなく、名門保護には該当しない。そもそも、関東支配の大義名分がない家柄となる。ちなみに、島津氏は鎌倉幕府以来の薩摩守護。大胆かもしれないが、このように考えない限り、ふたつの征伐の整合性が取れないのだ。



感想
Truth In Historyシリーズ。やっぱりいいね。北条氏についてはこれまで断片的な知識すら不足していたから、ここでがっつり学べてとても楽しかった。考えてみれば、僕は東京に住んでいるわけだし、まず真っ先に詳しくなるべき土地だろう。北条氏が勢力を拡大して行く中での史跡も多数あるみたいだし、いつか存分に巡ってみたい。その時が楽しみだ。