40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

毛利元就−「猛悪無道」と呼ばれた男

毛利元就 「猛悪無道」と呼ばれた男 (Truth In History 22)

毛利元就 「猛悪無道」と呼ばれた男 (Truth In History 22)

山口は明・朝鮮貿易で渡来した大陸文化と京の伝統文化にあふれ、さらに南蛮文化も波及するようになったのである。義隆はありとあらゆる中世文化を山口に統合し、日本最大の文化・学術都市を創出したのだ。今でこそ山口はありふれた地方都市に過ぎないが、歴史上最も山口が輝いた時代は義隆が創出したといっても過言ではない。
義隆は官位の昇進にもこだわり、1548年には従二位にまで上り詰めた。この時点で将軍よりも位は上である。義隆は武力を用いず、古き権威で領国を治めようとしたようである。この時代、ある意味時代錯誤な、平和主義的な文治政策を進めた戦国大名は彼しかいない。


1551年8月、大内重臣陶晴賢は主君である大内義隆に謀反を起こし、9月に義隆を大寧寺で討ち滅ぼした。大寧寺の変に関し、元就の立ち位置は全く無関係とされてきた。こうした通説は近年、完全に否定されることになった。毛利元就は、戦国最大級の下克上に加担していた。


第二次木津川口の戦い。毛利・村上水軍と鉄甲艦隊は激突し、毛利軍は鉄甲船の凄まじい火力になす術なく大惨敗に終わった−以上が通説だが、『信長公記』には鉄の船という記述はない。毛利側の記録でも鉄の船の記述はない。
織田優位の戦いであったことは揺るぎないとしても、少なくとも巷間いわれてきた「毛利大惨敗」の合戦でなかったと見られる。『信長公記』にあるように毛利水軍は押されたが、目的である兵糧を搬入には成功したのではないか。ただし、この合戦以降に毛利水軍は大坂湾の制海権を奪われ、思うような搬入活動が不可能となり、本願寺に籠城する門徒は兵糧と弾薬の不足に苦しむこととなった。



感想
毛利についての話は、こちらの期待通りの内容で満足。着々と戦国時代に詳しくなれて嬉しい。吉川・小早川について、村上水軍について、何より毛利の覇道について。楽しいねえ。


大内についても結構知れて面白い。山口県は父の出身地でもあるし、今後もっと親しんでいってもいいな。いつか色々な史跡を巡ってみたい。


陶晴賢のクーデターに加担していたとか、第二次木津川口の戦いについてとか、これまで通説とされていたことが、近年の研究により覆されている。歴史学者の研究は凄いなあ。何が真実かなんて、本当にいつまで経っても確定されないもの。一時の大勢に自分の意見を固執させず、常に情報を取り入れ修正し続けていくことは本当に大切だよな。いつでも一歩引き、保留しつつ現状を受け入れる。バランスを大切にしていきたい。


それにしても、元就の悪逆ぶりは凄いね。停戦条約を平気で破るその生き様。身の安全を保障して降伏させた後に殺すとか。自分の都合しか考えていない。それが戦国時代の常だとしても。伊達政宗の本を読んだ時、隙あらば攻め込み、豊臣や徳川に下手な言い訳をする姿に苦笑を禁じえなかったけど、そんなの可愛いものだったんだな。
そんな相手とも交渉せざるを得ない戦国時代の駆け引き。重要人物の死によって容易にひっくり返る情勢。歴史が今の形に至ったのは、必然でもなんでもなく、偶然に偶然を重ねた上に成り立ったものなんだな、と理解させられる。だからこそ、戦国シミュレーションゲームでのifを作り上げることにはロマンがあり、妄想も捗るんだろう。僕もその仲間入りをしたいもんだ。