毛利元就−「猛悪無道」と呼ばれた男
毛利元就 「猛悪無道」と呼ばれた男 (Truth In History 22)
- 作者: 吉田龍司
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2010/09/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 3回
- この商品を含むブログを見る
義隆は官位の昇進にもこだわり、1548年には従二位にまで上り詰めた。この時点で将軍よりも位は上である。義隆は武力を用いず、古き権威で領国を治めようとしたようである。この時代、ある意味時代錯誤な、平和主義的な文治政策を進めた戦国大名は彼しかいない。
1551年8月、大内重臣・陶晴賢は主君である大内義隆に謀反を起こし、9月に義隆を大寧寺で討ち滅ぼした。大寧寺の変に関し、元就の立ち位置は全く無関係とされてきた。こうした通説は近年、完全に否定されることになった。毛利元就は、戦国最大級の下克上に加担していた。
第二次木津川口の戦い。毛利・村上水軍と鉄甲艦隊は激突し、毛利軍は鉄甲船の凄まじい火力になす術なく大惨敗に終わった−以上が通説だが、『信長公記』には鉄の船という記述はない。毛利側の記録でも鉄の船の記述はない。
織田優位の戦いであったことは揺るぎないとしても、少なくとも巷間いわれてきた「毛利大惨敗」の合戦でなかったと見られる。『信長公記』にあるように毛利水軍は押されたが、目的である兵糧を搬入には成功したのではないか。ただし、この合戦以降に毛利水軍は大坂湾の制海権を奪われ、思うような搬入活動が不可能となり、本願寺に籠城する門徒は兵糧と弾薬の不足に苦しむこととなった。
感想
毛利についての話は、こちらの期待通りの内容で満足。着々と戦国時代に詳しくなれて嬉しい。吉川・小早川について、村上水軍について、何より毛利の覇道について。楽しいねえ。
大内についても結構知れて面白い。山口県は父の出身地でもあるし、今後もっと親しんでいってもいいな。いつか色々な史跡を巡ってみたい。
陶晴賢のクーデターに加担していたとか、第二次木津川口の戦いについてとか、これまで通説とされていたことが、近年の研究により覆されている。歴史学者の研究は凄いなあ。何が真実かなんて、本当にいつまで経っても確定されないもの。一時の大勢に自分の意見を固執させず、常に情報を取り入れ修正し続けていくことは本当に大切だよな。いつでも一歩引き、保留しつつ現状を受け入れる。バランスを大切にしていきたい。
それにしても、元就の悪逆ぶりは凄いね。停戦条約を平気で破るその生き様。身の安全を保障して降伏させた後に殺すとか。自分の都合しか考えていない。それが戦国時代の常だとしても。伊達政宗の本を読んだ時、隙あらば攻め込み、豊臣や徳川に下手な言い訳をする姿に苦笑を禁じえなかったけど、そんなの可愛いものだったんだな。
そんな相手とも交渉せざるを得ない戦国時代の駆け引き。重要人物の死によって容易にひっくり返る情勢。歴史が今の形に至ったのは、必然でもなんでもなく、偶然に偶然を重ねた上に成り立ったものなんだな、と理解させられる。だからこそ、戦国シミュレーションゲームでのifを作り上げることにはロマンがあり、妄想も捗るんだろう。僕もその仲間入りをしたいもんだ。