40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

完本 戒老録

感想
著者が40歳の時から、老後の自分に向けて書き貯めたメモを本にしたもの。前に読んだ「老いの才覚」は、実際に老いた身になってから、改めて老人に向けて述べた本ってことなんだな。

両者を続けて読んだわけだけど、著者の意見はそれほど変わっていないんだな。まあ、40歳にもなっていれば、人格や思想はすでに固まっているか。僕はまだ31歳だけれど、今後もそれほど変わらないような気がするなあ。安定してるってことで嬉しいような、成長がなく悲しいような。出来れば、人生観が一変するような劇的な経験をしてみたいもんだ。まあそうなるためには、今の自分を否定するようなどん底を経ないといけないわけで、ちょっと怖い感じもするけど。



四十にして惑わず、という言葉は、私の実感によれば、一段、表現に省略が行なわれていると思う。四十になると、とうてい先を見尽くせぬという絶望がかなりはっきりするから、多く望まなくなって、したがって、最善ではない、次善かその次くらいの道を淡々と選べるようになるのである。
この姿勢は僕も既に身に付けてしまっているような。全てを受け入れてしまいそうな気がするからこそ、最初の努力・選択はきっちりしないとなあ。順応性が高いのも考えもの。



私は、人がその人らしいことを好きであるようになってから、その人が変わることさえも望まなくなった。私がその人と友だちになったのは、その人が昔からそうであり、そのままが好きだからである。自分も人も、その人間の個性と連続性の上に立って考えられる時、多分私たちは人や自分をすばらしいものとも思わなくなると同時に、徹底的に拒否するような考えにもならないと思う。
これは本当にその通りだよな。僕には、ちょっと苦手な人はいても、嫌いな人はいない。多くの人がそうなればいいのにな。表面だけでなく、内心においても。まあ、人の生い立ちを詳細に調べることなんて出来ないし、それも仕方ないのかな。



誰にとっても、悪い一生ではなかった、と思うことは可能なのである。世の中は何よりも―決して完全ではないが―おもしろいところだった。少なくとも私はこの年になっても、くだらないことによく笑っている。悲しいような、苦しいことさえもおかしく思えることがあった。



人間の一生は無駄をすることである。死という最終目標が映っている人間にとっては、もし無駄がいけないというのなら、最初から生きなくてもいいのである。
いい言葉だ。考えるのが好きな僕ではあるけれど、人生の意味を突き詰めて考えたって、答えは出てこない。僕から言わせれば、人に出来るのは、各々が勝手に「意味を設定」することだけ。それに基づき、最大限の幸せを求めて生きていきたい。