大往生したけりゃ医療とかかわるな
- 作者: 中村仁一
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2012/01/30
- メディア: 新書
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救急車に乗ることは、延命措置も含めて現在の医療でできることは何でもしてほしいという、無言の意思表示なのです。ですから、それを覚悟のうえで、乗らなくてはなりません。
今の生き方、今の周囲へのかかわり方、今の医療の利用の仕方が、死の場面に反映されるのです。「今」の生を考えるために「死」の助けが必要なのです。いのちの有限性を思い、「死」を考える具体的行動をとることで、「生き方」の点検、修正を、その日まで繰り返すことが必要です。やはり人は、生きてきたように死ぬのです。
感想
今までにも死生観について扱った本をいくつか読んできた。でもこの本はそれよりさらに対象年齢が高かったかな。死全般を扱うというよりは、老齢期の死を前提にしていたので。言われることには結構同意しながら読んでいたけど、それを実践するのは30年後、40年後の話だからな。親の死を考える時には使えるかも?それにしたって、もうちょっと後の話。まあ、いつ直面するかなんて分からないし、事前に備えるのは悪くない。
僕自身、治る見込みがあっての治療はお願いしたいけど、延命のためだけの治療は受けるつもりはない。そんなことのために苦しむつもりはない。意識不明になっては自分の意思を表明できないし、こういうことは定期的に周りの人間とよく話し合っておくことが必要なんだろうな。親の希望についても。大まかなことは聞いているけどね。
現時点での僕の方針は、
・改善の見込みがなければ人工呼吸器は必要なし
・強制人工栄養(鼻チューブ栄養、胃瘻による栄養、中心静脈栄養)は必要なし
・臓器は提供しない
・葬儀式は簡素に
・読経、死後戒名は必要なし。でも、やりたければやっても可。
って感じ。まあ、家族にも知らせていないブログだし、こんなところで表明したって意味はないんだけど。