死を忘れた日本人−どこに「死に支え」を求めるか
- 作者: 中川恵一
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 2010/05/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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有性生殖のメリットは、減数分裂や受精の過程を通して、1つとして同じではない多様な子孫を残せることです。性を持つことで、私たちは世界で唯一のかけがえのない存在となり、同時に、死を運命づけられたのです。
人類の遺伝子はこれ以上進歩しない、つまり、人類にはもう進化は起こらないと思います。その必要がないからです。社会や福祉や道具が代わりに「進化」するからです。ヒト以外の生き物では、進化は、世代交代による遺伝子の変化とその評価・選別(=自然淘汰)によって起こりますが、大脳によって、「遺伝子によらない進化」が出現したわけです。
日本では、延命治療の中止が、暗黙のルールでも法律でも、きちんと位置づけられていませんから、医師は治療を途中でやめることはできません。人工呼吸器を一度つけたら、それこそ外すことはできないのです。家族にどんなに治療の中止を頼まれても、殺人罪を問われたくありませんから、医師は治療をやめることはできません。
感想
本「がんの練習帳」で紹介されていた本、2冊目。ただ、死について考えるのならば1冊目のほうが思考を刺激されたかな。こっちのほうの本は、なんか方向性が違ったような。でも、色々なことが知れて興味深かったし、読んで良かったとは思う。
「生物は進化の過程で死を生み出した」ってのは面白いよな。個体の不死よりも、種の発展向上を優先させた。その結果、人類に到達し、思考を手に入れたんだな。例え不死でも、自分を認識できない、考えられない、行動の選択がないのであれば意味がない。過去に遡って選択の機会が与えられたって、絶対に今の状況を望んだだろう。そう考えれば、死も受け入れられるかな。まあ、今の自分を保ちつつ不死でいられたら一番いいんだろうけどね。
「人類はもう進化しない」ってのも、なるほど、と。言われてみればその通りだな。まあ、今後の地球環境がどうなるかも分からないし、数千年、数万年の単位では違うかもしれないけど。そこまで人類が存続しているとして。
脳死について。僕自身は、思考できることにこそ生きる意味があると思っているから、脳死は人としての死に他ならない。その状態で人工呼吸器を付けて生き続けたくはない。本人は望んでいないのに、法律によって死を選択させてあげられないってのは残酷だな。絶対にそんな状況には陥りたくない。事前に自分の意志を表明し、それを正式な書類で残しておかないといけないってことか。でも突然そんな状態になってしまったら、備えようが無いよな。恐ろしいなあ。
死については人によって様々な意見があるだろう。そういうのを聞いてみるのも面白いだろうなあ。まあ、話題が話題だけになかなかそんな機会なんてないんだけど。でも、「自分の死は、自分だけのものではなく、あなたを大切に思ってくれる人のものでもある」ってのはなかなか響いた。確かにそうだよな。自分自身だけで結論を出していればいいものではない。残される人の気持ちも汲み取らないと。だからやっぱり、そういうことを話し合う機会を設けるべきなんだろうな、と思った。やっぱり、この問題は深いなあ。