40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

ゲンロン10

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「悪の愚かさについて」(東浩紀

第一次大戦は人類がはじめて経験した総力戦であり、多くの人々が殺された。無数の人々が、集団的に、匿名的に、まさに「ゴミのように」殺された。笠井はその現象を「大量死」と呼び、探偵小説はその経験への抵抗として生まれたジャンルだと主張している。
探偵小説は20世紀の大量死への抵抗として生まれた。だからこそ、それは戦間期英語圏で成功を収めた。そしてまた日本でも、第二次大戦で人々が大量死を経験したあとにはじめて多くの読者を獲得した。

大量死の暴力に対して意味の回復(自然主義文学)で抵抗するのではなく、その暴力が生み出した意味喪失(探偵小説)こそを記憶する。すべてを記号とパズルに還元してしまう探偵小説的な想像力こそが、加害の愚かさを、意味に回収することなく記述できると語っているように解釈できるのである。

 

「迂回路開発紀行 第一回」(高山明)

多くの演劇が社会の暴力や毒を取り上げることに懸命で、それを無自覚によいことと捉え、誰もが分かっていることを「問題」として改めて固定する。その構造自体がそれこそ問題ではないのか。
観客はますます固められた秩序のなかで、楽しく、安全に、「問題」を扱う作家の手つきを味わっていればいい。多様化が進められるのはもっぱら舞台上で、客席は相変わらず同じような人たちばかり。政治的立場も似通っていて、良識ある左寄りの人たちが大半を占める。雑多な人達が混在し、攪乱されるべきは客席の方なのに、既存の秩序が揺さぶられることはなく、演劇は暴力性を取り除かれ毒にも薬にもならない代物になり、ひょっとすると持ち得たかもしれない両義的な力を失った。

 

 

感想

ゲンロンが第二期に入り、東さんの批評が始まったけど、かなり面白い内容。やっぱり批評といえば東さん。雑多で幅広い批評に目を配るのも大事だけど、その中心には東さんがいて欲しいね。

ただ、その批評での一番の収穫は、探偵小説・ミステリーの誕生経緯と意義について知れたこと。ミステリーでは、1,2人の死を巡って大量の文章を使って物語を展開していく。今まで、そこに物足りなさを感じていた。当事者にとってはもちろん大事件だけど、読者としては赤の他人が殺されたことに、そこまで感情移入が出来ない。セカイ系の、人類存亡の危機のような物語に慣れ親しんだことの弊害か。

けど、東さんの批評を読んで大いに納得。歴史の展開を知らないと、容易にミスリードされてしまうね。これを知ってミステリーの読み方が変わるかどうか。また挑戦してみるのもいいかも。それにはまず、大量死への反省・忌避を改めて学ぶ必要がありそうだけど。

 

演劇について。多様性を求めることで、固定されてしまう罠。これは、演劇に限らず起こり得る事態。メタな視点も意識しつつ、精神の袋小路に陥らないよう目を配っていきたい。