表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
俺は、ずっと自分の内面ばかりを覗き込んできた。自分の内面を隈なく覗き込んで一体どこに問題があるのかずっと探している。
欠落の構造を自分なりに理解した時に、これからもずっと生き辛いだろうし、そして、これからも大切な価値にたくさん出逢うだろうという諦念と感謝が同時に生まれた。その感情が芽生えてからは、内面を覗き込む時間が少なくなっていった。外に目が向けられるようになっていた。すると、他人への興味が急激に湧いてきた。
そして、外の景色をよく見てみるとクソみたいなことで溢れていたし、没頭できる楽しそうなことでも溢れていた。
もう行きたい国は思い浮かばない。没頭を味わいに行きたい場所はあるけど、この国と比較してみたい国はもう思いつかなくなっていた。それは、探していたものが見つかった手応えがあるからだ。血が通った関係と没頭が最高なのは、キューバもモンゴルもアイスランドもコロナ後の東京も多分一緒だから。
感想
勢古さんの本「それでも読書はやめられない」でお勧めされていた本。著者は芸人・オードリーの若林さん。ちょっと身構えたけど、一読し、その文章力にびっくりした。これは、自身の内面を覗き込み続け、考え続けたからこその結晶なんだろうな。その思考の結晶に触れながら、こちらも考えるきっかけとなる、楽しい、収獲のある読書となった。
旅に明確な目標を持ち、旅する中で考え、確かな成果を上げた若林さん。やるなあ。僕も旅行は好きだけれど、その渦中で、どれだけの成果が得られているだろう。旅は楽しいだけでなく、異質な環境に身を置くことで思考を刺激・加速させる場でもある。その機会をちゃんと活かし、内に燻っている思いを昇華させていきたい。
僕は世間に迎合・立ち向かう道を、アリリタによって避けた。若林さんは内面を見つめた後、外に目を向ける道を選択した。その違いはどこにあったんだろう。「血の通った関係」がその答えなのかなあ。若林さんにはそれがあり、僕にはなかった。僕にも、人の中で生きていく選択肢はあったと思うけどね。そのチャンスはあった。でもそこで、もう一歩先に進んで手を伸ばす道を選ばず、見限ってしまった。それを志向させるほどの衝撃・得るものが無かった、ってことでもある。結局それも、表面的な付き合いに終始し、深く他人を知ろうとしなかったからこそ、なんだろうけど。
まあ別に、今の道を後悔しているわけではない。十分満足している。後はそれぞれの道において、いかに充実度・満足度を上げていけるかどうか。
何かを得られるチャンスを積極的に求め、その機会に漠然と過ごさず、常に内心に問いかけ反応を引き出す。心に思考の種を投げ、それを熟成させ、きちんと抽出する。
「血の通った関係」は無いけれど、「没頭」ならばいくらでも目指せるはず。常にアンテナを張りつつ、毎日を楽しく生きていきたい。