私たちは個性的な存在です。しかし、100%自分発の個性はない。個性とは、私たちひとりひとりが「どういう他者とどのように関わってきたか」の違いなのです。個性は、他者との出会いで構築される。自分の成分としての他者が、自分の「欲望」や「享楽」の源泉になっている。私たちは個性的だが、個性とは「他者依存的」なものである。
大して意味がなさそうだけれども、気になること。自分の奥底の無意味に触れているのかもしれない「雑念」。雑念にこそ、「自分ならではの無意味」が宿っている。何か「非意味的形態」のきらめきがある。自由な勉強とは、意味と無意味の行ったり来たりである。
勉強とは、これまでの自分の自己破壊である。
深い勉強、ラディカル・ラーニングとは、ある環境に癒着していたこれまでの自分を玩具的な言葉使用の意識化によって自己破壊し、可能性の空間へと身を開くことである。
感想
「この本がスゴい!2017」に選ばれた本。
既にアリリタした身であり、別に「勉強」して「成長」する必要はないんだけど。でも、今の自分を破壊し、新しい可能性を開くってのは面白いことだからね。自分を破壊することがなければ、定年まで働くことを疑問に思うこともなく、今でも会社に囚われていたわけだ。「固定観念に縛られない」「自由」ってのは、僕の人生において最も大事にしたい価値観。それを保つためにも、今後とも新しい情報・思想・価値観を取り入れていきたい。知識のシナジーも起こしていきたいね。