進化の歴史の中で、過去を正確に記憶している個体が生き残ったのではなく、生存確率を上げるのに有利になるように過去の記憶を書き換えるような個体が生き残ったのだ。我々は、そういう個体の子孫なのだ。
我々は、より効率よく生きるために、コントロールしようとするのでは、ないのだ。コントロールしたいから、コントロールしているのだ。コントロール欲求は、食欲や、性欲や、睡眠欲と同じくらい、基本的な欲求なのだ。
実際にはコントロールできなくても、「コントロール欲」を満たすことはできる。
人類は、数千年もの間、神様に祈ることで、雨を降らせられると信じてきた。コントロールできないものをコントロールできるという幻想の中で、数千年もの間、生まれ、育ち、年老いて、死んでいったのだ。
雨ごいをする人々を見て笑う人々は、雨ごいをする人々よりも、もっと滑稽だ。なぜなら、ほとんどの人は、21世紀においても、日々、雨ごいと同じことをやり続けているからだ。
我々にとって、コントロールできないということは、恐ろしい苦痛であり、その苦痛を受け入れるぐらいなら、コントロールできるという幻想の中で生き続けたほうが、よっぽどましなのだ。
コントロールできないという現実を直視すると、健康は阻害され、やる気をなくし、不幸になって、行動しなくなってしまう。
感想
スゴ本ブログの「この本がスゴい!2018」に選ばれた本。
コントロール欲求についての話は面白い。人はコントロールを求め、それを満足させるために脳の機能を変質させた。不都合も承知で。それほどに大きい欲求。3大欲求にも匹敵する。今の僕は、そのコントロール欲求を高い次元で満たせているわけで。現状に満足しているのも納得だね。このまま、この欲求を満たし続けていきたい。
既にリタイアした身だし、この本が強調する錯覚資産を増やそうとは特に思っていないけれど。脳の性質を意識に置き、騙されることがないようにはしていきたい。