幸福について 人生論
- 作者: ショーペンハウアー,橋本文夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1958/03/12
- メディア: 文庫
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- 作者: ショーペンハウアー,鈴木憲也
- 出版社/メーカー: かんき出版
- 発売日: 2012/12/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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人間が幸福で健やかであるということの意味は、われわれの願望が満足へ、その満足からまた新しい願望へという移り変わりが、スムーズに速やかに進んでゆくことにすぎない。満足の得られない状態が苦悩であり、新しい願望が何かわからなくなってしまった状態が、退屈である。
全く自己自身のあり方に生きていて差し支えないのは、独りでいる間だけである。だから孤独を愛さない者は、自由をも愛さない者というべきだ。というのは、人は独りでいる間だけが自由だからである。強制ということが、およそ社交には切っても切れないつきものである。
人間が社交的になるのは、孤独に耐えられず、孤独のなかで自分自身に耐えられないからである。社交を求めるのも、異郷に赴いたり旅に出たりするのも、内面の空虚と倦怠とに駆られるためである。そういう人の精神には、独自な運動をみずから掴むだけの原動力が不足している。
対外的な利益を得るために対内的な損失を招くこと、すなわち栄華、栄達、豪奢、尊称、名誉のために自己の安静と余暇と独立とをすっかり、ないし、大部分を犠牲にすることこそ、愚の骨頂である。
本を読むことに気をとられて、現実の世界を見落とすことは良くない。現実を見ることは、読書などと比較にならないくらい、自分で考えるきっかけと刺激とを与えてくれる。具体的に存在するものは、根源的な力をもっていて、精神に刺激を与える。しかし単なる経験は思索の代わりにならない。また、思いついたことは、いつも書き留めておくべきである。
老齢期の主な欲求は、気楽にしていることと、安心していられることである。老人になってもまだ勉強する意欲があり、音楽や芝居を好み、外部のものに対する感受性が残っていれば幸せである。
感想
勢古さんの本「いつか見たしあわせ−市井の幸福論」で紹介されていた本。勢古さんも、幸福論として一番しっくりくると言っていたけど、僕も紹介文を読んでかなりのシンパシーを感じてしまったんだよね。
こうして本書を読んでみても、共感できる部分ばかりで、読んでいて楽しくなった。悲観・厭世主義の書を読んで楽しくなるのもどうかと我ながら思うけど。今後、僕の立ち位置の拠り所として示すのにこの本はぴったりかもな。
もちろん、人にはそれぞれ異なった生き方がある。ショーペンハウアーも、「人柄・人格に合った生き方を選ぶことが大事だ」と言っている。僕にはこれが合ったというだけの話。
最近、会社の研修において、自分が重視している価値観の上位5つを挙げるという課題があった。僕が選んだのは、上から、自立性、プライベートの時間、個性の発揮、安全性/安心感、多様性。自立ってのはブログプロフィールの人生目標にも掲げていることなんで当然。それによって、不確定要素となりやすい人間関係を最小限にコントロールする。そうして、誰にも邪魔されないプライベートの時間を楽しみたい。そのプライベートにおいて、自分の興味あることを楽しむ。そうするためにはまず、安全/安心を確保するためのお金がいる。必要最小限で十分だけど。最後に多様性。色々な楽しみの対象を見つける。もちろん、上位の価値観を損なわない範囲で。
こうして僕の望みは抽出出来ているんだから、その達成に向けて今後とも頑張っていきたいね。