科学と宗教
- 作者: Thomas Dixon,中村圭志
- 出版社/メーカー: 丸善出版
- 発売日: 2013/09/26
- メディア: 新書
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宗教的倫理にせよ、科学的倫理にせよ、それが自然や社会の事実、人間性、権威ある文書といったものから道徳の指針を引き出すことで自らの試みを正当化しようとしている限りは、どちらも同じくらいまずい(それゆえ同じくらい良い)立場であると言える。宗教も科学も、人々が自らの状況を理解するのに役立つ材料を提供する。
これらのペアのうちの半分を捨て去ることができればと願う者もあるかもしれない。あるいは、それが権威をもってあれこれの知識、道徳、政治の領域に口出ししようとすることを諦めるよう説得できればと願う者もあるかもしれない。だが、そうした人は、自分が何を求めているのかを注意深く考えるべきである。あらゆる人間が本書が論じてきた諸問題に対して一個の合意に達しているような社会に住みたいと本当に思っているのだろうか。そしてそれはどのような世界であろうか。
感想
「スゴ本」サイトで紹介されていた本。この問題に関しては昔から関心を持っており、色々な本を読んできた。自分自身の中での結論は出ているし、それを基にして他に関心が移っていったので、あまり最近は追っていなかったけど。久しぶりに触れてみるのも面白いかと思って読んでみた。
定番の、ガリレオ事件について、また進化論について。「種の起原」とか「利己的な遺伝子」とかも昔読んだなあ。インテリジェント・デザインについても触れられている。これらの問題に関する僕の約5年前の思想を読み返してみたけど、ちょっとばかり攻撃的だなあ。まあ、今もそれほど変わったわけではないけれど、もう少しマイルドになったかな。それぞれが持つ解釈・思想を認められるようになったというか。相対主義。
今回の本で面白かったのは、科学と宗教の類似性。宗教だけでなく科学も、自分の主義主張のために利用され得るってこと。どちらも、政治的目標のために利用される。原発、温暖化、食の安全性、等。賛成反対の両方の側で、科学的な主張を行う。主張を認めさせようとする。
僕が宗教に向けている目と同じものを、科学にも向けなければならないんだな。どちらが正しいか、間違っているかなんて断定できなくてもいい。安易に結論を下しては、ロクなことにならないからね。まあ、トンデモ科学・トンデモ宗教を許容する必要はないけれど。