40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

痛快!寂聴仏教塾−グローバル・スタンダード

私たち人間が修行して悟りを開いたとしたら、何の仏になるのか。それが菩薩なのです。人間はどう頑張っても如来にはなれません。では、なぜお釈迦さまだけは如来になれたのかといえば、もともとお釈迦さまは仏であったのが、私たちを救うために人間の姿をして現れたのだとされています。


「祈ったら願いが叶えられるのなら、こんなに苦労していない」と、考えるでしょう。私自身、出家するまでは、いや出家してからも、なかなか素直に信じられませんでした。でも、一心不乱に心からお祈りすれば、ほんとうに奇跡が起こることもあるということを何度も経験しました。理屈や科学ではどうにも説明できない不思議なことが起きるのだということを何度も経験しました。


私たちが生きているかぎり苦しむのは、心にこだわりがあるからです。イメージや既成観念にとらわれているから、苦しむのです。
宗教は本来、人間を自由にするためにあるはずなのに、教えのために不自由になっているのでは本末転倒です。


感想
仏教研究の第六弾。瀬戸内寂聴さんが、仏教初心者に向けてやさしく解説してくれる本。なかなか分かりやすくて読みやすい本だった。またいくつか新しいことも知れたし。人間が死んで仏になるっていうけど、それは「菩薩」のことだったんだな。なるほどねえ。他にも、般若心経についてや、写経、戒名について知ることができた。

あと、「願いが叶うこと、奇跡」についての寂聴さんの考え方についても知ることができた。ちょうど、「仏像の本」のところで僕の考え方について書いたばかりだったので、いいタイミングだったな。ついでなんで、もうちょっと考えてみるか。


「奇跡」について。僕は奇跡を信じていない。「奇跡としか思えないこと」ってのは確かにあるだろう。偶然に偶然が重なる事態ってのが。でもそれだって、少ない確率とはいえ起こりうること。宝くじで1等が当たる確率はかなり低いけれど、ちゃんと当たる人はいる。当事者からは、「当たった」っていう所しか見えない。でも、その裏には大勢の外れた人達がいる。全体で見れば、単なる確率問題に過ぎない。
仏教に限らず、「願いが叶う」「奇跡」ってのはあらゆる宗教に見られること。別に「真の宗教」でなくても。邪教でも新興宗教でも、奇跡はある。願いは叶う。何かに願い、それが叶ったことは、強烈に印象に残る。それまで数限りなく経験してきた、「叶わなかった願い」の印象をかき消すほどに。そこにはバイアスがかかっている。願いが叶わなかった時は、「自分の思いが足りなかった」とか、「別の形で叶った」とか、「本当の願いではなかった」とか。いくらでも自分に都合のいいように解釈してしまう。


治癒能力なんかは、人間の潜在能力が関係してるんだろう。「火事場の馬鹿力」って言葉がある。人間には、普段は出せない大きな力が眠っている。まだ科学では解明しきれていない部分もあるだろう。それが引き出されると、奇跡みたいな現象が起きる。心からの信心・畏敬によって、それが解放されるってことはあるのかもしれない。それを含めて称するのであれば、「奇跡」ってのは存在しうるのかもしれないな。まあ、結局は「奇跡」の定義の問題かな。


最近のブログは仏教だらけになってるな。あんまり一つに偏りたくはないんだけど、ある程度集中させないと、まとまりとして理解できないからな。仏教はあと一回で終わらすつもり。でもその後も、長編大作の続きばかりになりそうで、状況はあまり変わらないかなあ。