40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

(日本人)

(日本人)

(日本人)

ほとんどのサービスが貨幣で購入できる社会では、親戚づきあいは不要になり、友だちとの関係もドライになっていく。ようするに、ベタな人間関係は面倒くさいのだ。だがそれと同時に、私たちはこのような”無縁社会”に根源的な不安を感じてもいる。ひとは社会的な動物であり、誰もがなんらかの共同体に属さなければ生きていくことができない。共同体は構成員を拘束し、自由を奪うが、その代わりに安全や帰属意識といった大切なものを与えてもくれる。


戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。戦前の日本人にとって、(戦争は)生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。しかしその結果は、あまりにも悲惨なものだった。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。このようにして、戦前は「一億火の玉」となって戦争に邁進した日本人は、他国から侵略されても武器を取る気のないきわめつきの「平和的な」民族となった。日本人の「人格」は、戦前と戦後で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。


日本社会が能力主義を忌み嫌う理由。欧米型のドライな人事制度は、会社をイエではなく、たんなる収入を得るための道具に変えてしまう。しかし地縁や血縁を放棄してしまった日本人は、イエとしての会社がなくなってしまうと、もはや所属すべき共同体はどこにもなくなってしまう。これは社会的動物としてのヒトにとて、とてつもない恐怖だ。
おそらく日本人は、外部のちからによって強引にもぎとられるまで、イエとしての会社を手放そうとはしないだろう。日本的雇用が危機に瀕するほどに「会社」は貴重になり、ひとびとはそこにしがみつこうとする。


日本がグローバルスタンダードの国に生まれ変わることはものすごく難しい。それは、日本の社会に<他者>がいないからだ。日本社会では、他者はイエに包摂されるか、さもなくば排除される。この二者択一で社会の秩序が維持できるかぎりは、ローカルルールを変更する必要はない。日本国が人口の減少をカバーするために大規模な移民の受け入れに舵を切り、人口の三割が非日系日本人になるようなことが起これば、放っておいても日本はグローバルスタンダードの国になるだろう。しかし現在のように、政治や行政から会社、学校に至るまでほとんどの組織が「日系日本人」で構成されているかぎりは、グローバルになる理由はどこにもない。


私たち日本人に残された希望は、いまの世俗性を維持したまま自由な自己表現のできる社会をつくることにしかない。そこは理念的には、いかなる超越者(絶対神)も信じない徹底的に世俗的なひとびとによって構成される、誰もが自由に自己表現・自己実現できる社会のはずだ。いかなる超越者からも自由な、<私>性の最先端にいる日本人だけが、このユートピアにたどり着ける。すべてのローカルな共同体(伽藍)を破壊することで国家をフレームワークだけにして、そこに退出の自由な無数のグローバルな共同体を創造していく。



感想
かなり面白い本だった!
従来の日本人論では、「制度に縛られ、人間関係が濃厚なムラ社会」に生きる者として描かれる。でもこの本では、日本人の本質が「世俗的(損得勘定)」であることを説く。「世間」の拘束が強いのは、そうしなければひとびとをひとつの共同体にまとめておけないほど日本人が「個人主義的」だからなのだ、と。戦争前後の日本人の180°の転換も、これで説明することが出来る。なるほど、面白いなあ。


まあ個人的には、すごく共感できる思想なんだけど。僕自身、費用対効果を常に考える、ドライで現実的な人間だと思っているので。それは特殊なのではなく、日本人はみんなそうなんだ、って主張は新鮮だった。
昔は制度や付き合いでがちがちだったのに、それが緩くなってきたのは、それが無くても生きていけるようになったから。そして、若者間ではtwitterFacebookなどを使って密な関係を築いているのは、彼らがまだ完成しておらず周りの助けや連帯が必要なことと、景気の悪化・就職難によって、今後単独で立つのが難しいってことを察知しているからなのかも。ならば、これからの停滞した経済のもとでは、また人間関係を濃くする方向に動くしかないんだろうな。若い人に限らず。


イングルハートの調査も面白い。(国のためにたたかう気がなく、日本人としての誇りがなく、権力や権威を嫌う)確かに日本人にはこういう面がある。でもそれは、権利としてすでに確保しているからこそ、それが当たり前になってしまい、そこにあぐらをかいて自己主張しているだけって面もありそう。アメリカの庇護があるからこそ反戦なんて言っていられるし、福祉制度が充実し、警察力によって平和が保たれているからこそ、反権力なんて言える。そうしたものが揺らげば、手のひらを返して保護を求めるだろう。まあ、そういう変わり身の早さが世俗的なんだってことなら、全く持ってその通りだな。


でもこの世俗性って、本当に日本人の本質なのかなあ。日本人がそこまで拘束されることを嫌っているとは思えないんだけどな。生きていくためには組織に属さないといけないってのは分かるけど、全人生をかけてまでコミットする必要はない。なのに前時代は、それが世の中の隅々にまで行き渡っていた。それはなぜ?個人主義を縛るためにしては、行き過ぎていないか?今の極端な世俗性は、今までの、権威や権力が強すぎた時代からの反動って気もする。日本人はバランスをとるのが苦手なのかもね。
日本人は最後まで会社組織にしがみつくって指摘もあった。「ワーク・シフト」を読んで、グローバル化が日本にどのような影響を与えるのかを考えていたこともあり、それに対するタイムリーな読書にもなった。日本のグローバル化は遅れそうだし、会社組織を最後まで残そうと努力してくれるなら、既にそこに属している人間にはありがたいことかな。


これ以外にも、進化心理学について、ハシズムネオリベについて、評判経済について、など興味深い内容満載で、色々と納得させられることが多くて、読んでいてすごく楽しかった。ここら辺を深めていくのも面白そうだな。