- 作者: ダニエル・L・エヴェレット,屋代通子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2012/03/23
- メディア: 単行本
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ピダハンが西洋社会に最初に出会った18世紀以後の歴史で、いかなる時代にも「回心」したピダハンの存在は知られていないのである。ピダハンは迷ってはいなかったし、「救い」を求める必要も感じてはいなかった。
わたしは、自分がもちきれない自分の信仰を、失うことのできないものを得るために諦めた。わたしが失うことができなかったのは、自分自身の理性よりも外部の権威に従うことから、自由になることだった。
どうか考えてみてほしい−畏れ、気をもみながら宇宙を見上げ、自分たちは宇宙のすべてを理解できると信じることと、人生をあるがままに楽しみ、神や真実を探求する虚しさを理解していることと、どちらが理知をきわめているかを。
ピダハンは、自分たちの生存にとって有用なものを選び取り、文化を築いてきた。自分たちが知らないことは心配しないし、心配できるとも考えず、あるいは未知のことをすべて知り得るとも思わない。その延長で、彼らは他者の知識や回答を欲しがらない。
感想
島地さんの、「乗り移り人生相談」で紹介されていた本。かなり面白そうだったんで読んでみた。アマゾン奥地に住む少数民族「ピダハン」と、そこに伝道・聖書翻訳のためにやってきたキリスト教徒である著者との交流を描いた話。
ピダハンの独特の生き方にはすごくびっくりした。世の中に、向上を目指さない民族がいるなんて。外の便利な道具や技術を見れば、それを取り入れてより良い生活をしたいと望む。それは、ここまで発展してきた人類に共通の本能かと思っていたけど。それに当てはまらない例が、こうして存在している。
また彼らは、直接体験したことか、直接体験した人の話しか、信じない。それ以上の伝聞は口にしないし、受け入れない。これじゃあ、知識の蓄積なんてものは生まれないよね。
彼らは「今」だけを生きている。「未来」に備えることは無いし、遠い「過去」を振り返ることは無い。すごい生き方だよなあ。人間性の前提を揺さぶられる感じ。
もちろん、彼らの生き方は特殊なんだろうし、だからこそこうして本にもなるわけだけど。自分たちが当たり前だと思っていることに対して、一歩引いた視点を提供してくれる。まあ、だからといって、彼らの生き方を真似したいとは思わないけどさ。ただ、将来を心配しすぎて「今」を破滅させてしまっているような人には、いい教訓になるんじゃないかな。
彼らの独特の生き方と同じくらい面白かったのが、著者の生き方の変化。今しか信じないピダハンは、当然の帰結として、キリスト教を受け入れることは無い。聖書なんて、伝聞の最たるものだからな。
著者も科学者として、実証の無いものを信じることへの「疑念」は持っていた。それが、ピダハンとの生活が最後のきっかけとなって、無神論者となる。初めは「隠れ無神論者」として過ごし、全てを明かしたのは実に20年が経ってから。結果、信者一家だった著者の家族は崩壊することになる。この生き方も劇的だよなあ。
崩壊することを予感しつつも、自分の信念を通したその生き様は素晴らしい。めちゃくちゃ共感できた。本当、そういう生き方を貫くってのは難しいことだよね。でも、真の意味で「生きる」ってのはそういうこと。僕も、周りの常識や圧力に屈することなく、自由な選択・決定のもと、自分の生き方を貫いていきたい。