「メディアミックスからパチンコへ」(井上明人+黒瀬陽平+さやわか+東浩紀)
黒瀬:パチンコも孤独で、これらのゲームも結局は孤独ということですね。日本ではゲームはひとりでやるものだと。他方で孤独でないひとはなにをしているかというと、ゲーム実況に向かっている。
黒瀬:ゼロ年代に入ってからは、ゲーム史と言いつつ、今日の討議では狭義のゲームの話はどんどん少なくなっていきました。裏返せば、これからはまずゲームの定義を拡大しないとダメだと思っています。ゼロ年代の後半からツイッター、ニコニコ動画、インスタグラムといったSNSが広がっていった理由のひとつは、それが「現実をゲーム化するサービス」だったからでしょう。
東:日本のゲームは、この30年間で、出版を模倣したゲーム(JRPG)からパチンコを模倣したゲーム(ソシャゲ)に徐々に重点を移すようになってきた。その善し悪しはともかく。これが今日の結論かな。
橋野:ゲームをいっさいしないひとたちは、現実で満足し、それを受け入れている人々だと思います。他方で、ゲームを何百時間もかけて遊ぶひとというのは、ある種ロマンティックというか、現実とは異なった世界を夢想できるようなひとなのかもしれない。
ぼくが『ゲンロン』に共鳴するのは、この点でどこか似たものを感じるからなのです。東さんの発言からは、いまの世の中がなぜこんな状況になってしまっているのか、それへの不満や苛立ちをすごく感じる。この世界を別の視点で捉えろと言っている。ぼくもゲームで同じことをやろうと思っています。
東:最近の娯楽作品には「この世界も悪くない」「この世界にいてもいいんだ」という現実肯定のメッセージが増えてきたように感じています。かつては「この世界ではない別世界を夢見る」という切迫感に駆られた作品が多く、とくにアニメやゲームでその傾向が顕著でしたが、最近は変わってきた。わかりやすい例が、新海誠さんの『君の名は。』です。あの映画にはとても強い現実肯定感があります。ぼく自身はその方向について物足りなく感じていたので、いまのお話は響くものがありました。
橋野:開発者仲間に「娯楽にメッセージ性は必要なのか」と聞いてみました。そうしたら「メッセージ性がいる」と言うひとはひとりもいなかった。50時間なら50時間楽しませればそれでいいのだ、と言うんです。ヒットメーカーたち自身がそう言っている。そこには反発したいと思いました。現実逃避だけでは真の逃避はできない、もっとロマンを見せてくれ、となればまた強い作品も復活するかもしれません。
感想
僕にとってとても馴染み深いゲーム。その特集ということで期待があった。それに加えて、その特集が読者から酷評されまくったという情報も事前に得ていた。それもあり、どんな内容が展開されているのか、期待半分、怖いもの見たさ半分みたいな気持ちで読書。
一読してみて。なんでそこまで酷評されるのか、分からなかった、ってのが大雑把な結論。ゲーム史を追いつつ、評者がコメントを加えていくのはいつものスタイル。参考になる歴史情報や背景知識、意見も見られ、なかなか参考になる特集だった。
なので、どこが批判されたのかをネットで調査。指摘に対する返答表なるものがゲンロンページにアップされていたので、それをじっくり閲覧。結果、評者達の紙面上の都合による省略・言葉足らずが攻撃対象のほとんどであることが分かった。他には、意見が統一されておらず別の見方もある、というものとか。でもこれは明確な「間違い」ってわけでもない。逆に、指摘側の間違いも見られる。批判ってこの程度なの?Amazonのレビューも読んだけど、大した指摘はなかったな。荒らしとして大半が削除されてしまったのか?一番大きかったのが、「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」の価値を軽んじすぎているってところかな。名作として名高いものの価値を評価しなかったのは、ゲームファンとして残念なものがあったのかもしれない。ゲーム賞受賞について穿った見方をしていたのも確かに悪かった。でも、致命的とまでは僕は思わなかった。
ただ、この特集が若干肩透かし気味に感じてしまったのも分かるかな。東さんは何といっても「動物化するポストモダン」「ゲーム的リアリズムの誕生」の著者だからな。あそこで見せてくれたゲーム批評を、この特集でも繰り広げてくれるとちょっと思っちゃったからね。実際には共同討議であり、本のように緻密に練り上げた構成ではなく、その場その場での発言になってしまっているからな。そこはまあ、確かに残念だった。
今回の批判により、再びゲームを扱う目もほとんど消えただろう。ゲーム業界にとってもマイナスでしかない。本当、残念なことだ。
ゲームやアニメが現実肯定に傾いており、異なる想像力・メッセージを発さず、その場限りを楽しませるものになってしまっているという指摘は分かる。せっかく時間をかけてプレイ・視聴するのなら、そこから何か得られるものが欲しいよね。アトラスの開発者・橋野さんはそこを自覚しているようなので、今開発中の作品はプレイしてみたいかな。2016年に発表されてから、5年経った現在もまだ発売されていないようだけど。アトラスには「真・女神転生」という名作も存在する。これもメッセージ性が高い作品のようなので、プレイしてみてもいいかもな。
ゲームの定義が広がってきているという指摘には頷かされた。ニコニコ動画やSNSを、「現実をゲーム化するサービス」として見てみる。確かにニコニコ動画には嵌ったし、そこにはゲーム性というのもあったんだろう。いつまでも狭義のゲームに拘っていては、縮小均衡に陥り衰退していくのみ。固定観念や枠に縛られず、より広い視野でもって娯楽・ゲームを追求していきたい。
ゲーム「ファクトリオ」が紹介されていたのも面白かった。steamで買いたいリストに入れている作品だからな。「新たな労働を次々に求めていく」というゲーム構造を解説されてしまうと、労働に忌避感を持つ僕としては若干躊躇してしまうんだけど。アリリタしてなお、労働を求めるのか?と。ただ、そこに面白さがあるのも分かるからなあ。怖いもの見たさも含め、そのうちプレイしてみよう。
僕の人生において最も馴染み深いゲーム。最大の時間をここに費やしてきた。今後も名作を求めてプレイしていきたいし、それだけでなく、一歩引いた批評・考察という観点からも楽しんでいきたい。それも、ゲーム単品だけでなく、ジャンル・媒体・歴史・国といった、さらに大きな枠組みを通しても。ゲームについて、あらゆる角度から楽しみ尽くしていきたい。