40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

新写真論

写真によって現在と過去を比べ、その違いを認識したり思い出に浸れたりするのは、スマートフォン以前のカメラでは撮れる量が限られていたからではないか。
かつて写真は非常に限られたタイミングでしか撮られず、それが現在との断絶を印象付け、写真に備わる一種の「思い出性」とでも呼べる性質を支えていた。これは人間の記憶に似ている。大部分を忘れてしまうからこそ、覚えているごく少数の記憶が思い出として重宝される。思い出とは、その少なさに支えられている。
すべての瞬間を写真に残せるようになったら、それはもはやその人の過去とは呼べなくなるだろう。スマートフォン以降、写真はそのようなものになりつつあるのではないか。いつでも撮れるようになった写真は、「思い出」ではなく「ログ」あるいは「証拠」と呼ぶにふさわしいものと化す。今や過去は自分ではなく他人が突きつけてくるものになった。このことと、自分でも撮ったことを覚えていない大量の写真は似ている。

 

今後はAIしか見ない写真が大量に存在するようになる。すべてが記録され、自分が見ることもなくAIがそれを解析する。写真は人間のためのものではなくなった。写真は、ストレージに記録され、アルゴリズムがそれを解析し「客観的事実」を生成する。これは人間とは関係なく自立的に動く「写真システム」だ。

 

 

感想

ゲンロン本誌、ゲンロンβ、シラス番組等で、大山さんの写真論にたびたび触れ。そのたびに、かなり興味深く思ってきた。この「写真論」の本が発売されていることは前々から知っていたけど、今回ようやく読むことができた。期待通り、得るものの多い読書となった。

 

スマホSNSの普及によって変わってきた写真の意味。写真にまつわる数々の知見が披瀝され、どれも楽しく読むことが出来た。印象に残った部分が多すぎて、付箋を貼りまくった。
僕は写真をSNSに上げることはしないので、未だ旧来の写真論に留まっている部分はあると思うけど。それでも現代の波には抗いきれないし、影響を受けている部分は多々ある。良い影響はちゃんと享受しつつ。負の影響についてちゃんと自覚し、それに流されないよう意識していきたい。

 

写真の量が多すぎて、「思い出化」されないってのは本当にその通り!量が溢れると、処理しきれず記憶にも残せなくなる。全てが等価・平坦になり、蓄積もなくなり、満足度も下がるのでは?そのうちAIが上手く掬ってくれるようになるのかもしれないけど、その環境が整うまでは、定期的に過去を振り返り、体系化して、上質な出来事を記憶に留められるようにしていきたい。

「記録する」ことは僕の好きな、得意な作業。現代の流れには抗いやすいだろう。それを活かし、きっちり手当していきたい。